右眼玉の手術のために入院していますので、暫く娑婆から隔離状態です。
10年以上前に白内障の手術をしたのですが、その時の眼内レンズが眼球内に落ちたためそれを摘出。再度レンズを挿入するのは後日になるようで、当面右目は使い物にならない不便な状況です。
まぁ、命に危険はないので、退院したら酒でも呑みましょう。
10年以上前に白内障の手術をしたのですが、その時の眼内レンズが眼球内に落ちたためそれを摘出。再度レンズを挿入するのは後日になるようで、当面右目は使い物にならない不便な状況です。
まぁ、命に危険はないので、退院したら酒でも呑みましょう。
「人間は考える葦である」と云う有名な言葉があります。
けだし名言で、考える能力の無い者や考えることを放棄した者は、ヒト以下の存在であると、わたしは想っています。
そして、理不尽な突然死に襲われる恐れの無い世界を平和と呼ぶのなら、現在の、自らを生かすための努力をも放棄したような者でさえその生命を保証されるような世界は、退廃と呼ばれてしかるべきだと考えます。
聊か傲慢な表現になりますが、莫迦・愚鈍が、「罪悪のひとつとして、当然のデメリット」とされないような現代日本は、間違いなく退廃の中にあると想います。
赤い方々が大好きな生存権と云う言葉があります。
でもこれは、「誰もが理不尽な突然死に襲われることの無い、自分で自分の人生を全うできる権利」のことだとわたしは信じて疑いません。自身を生かす義務と同等の言葉だと信じて疑いません。
現状のように、「自ら働いて自らを生かす義務を負いたくはないが、我には生存権があるのだから、誰かが我を生かせ」と云うが如き横暴だとは、わたしにはとても考えられません。
何が言いたいのかと云うと、今回のバス事故のこと。
格安深夜バスの類が起こしたフェイタルな事故は、ここ数年で枚挙に厭わず。今回もまた繰り返しただけ。
廉価な商品には当然廉価な理由があります。労働をして賃金を得た経験がある人間ならば、誰でもほんの僅かばかり考えればその真理は理解できるはずです。
安全にかける僅かばかりの金をケチった人間が、正しくその対価を支払っただけのことだとわたしは想っています。
昨年騒ぎになったユッケも同じ。
自分の人件費などから考えても、提示された格安の商品に、最低限の安全にかける経費が加算されているのか否か、少しでも考えれば解るようなこと。
そんな程度のことも、まともに考えないから、今回のような事故は起こる。
事業者には安全を提供する義務がある、と云う建前を口にするのは簡単です。
でも、消費者が、安全を無視した格安商品を好むから、今回のような安全度外視の商品が市場に溢れるのです。それを無視して建前だけを強弁することは許しません。
何故なら、どの業界でも、安全度外視の価格競争をせざるを得ない程、無思慮に格安商品に群がる大衆消費者が、安全を商品価格に上乗せする事業者を破産させてきた事実があるのですから。
わたしは、件の如き廉価飲食店で生肉を食べたことはありません。自己責任の下に、友人が狩った鹿の生肉は食べますけど。店で口にするならば、一定以上のレベルのお店で信頼できる価格で提供されている場合のみ。
わたしは、件の如き廉価交通手段で移動をしたことがありません。安全を適正価格で買っていると思っています。
消費者の側に、無思慮に格安商品に飛びつくのではなく、「その価格は明らかに何かおかしいだろう?」と云う、当たり前の感覚と考えを求めることはおかしいことなのでしょうか?
誰もが「正しい」金銭感覚を持ち、怪しげな業者を選択肢から外していけば、行政指導や法律の強化などなくても、事故を起こすような業者は淘汰されていく筈なんです。
ちょっと視点と論点が変わりますが、無思慮に格安商品に飛びつくということは、翻って、その商品、ひいてはその商品に関わる人間の人件費に、「その程度の価値しかない」と断ずることでもあります。それが廻り廻って、自らの人件費も「その程度で充分」と云うことに繋がっているという事実も、正しく認識されるべきだと想います。
バス会社を責めるしか能がないマスゴミにあまりにも腹が立ったため、正直に想うところを吐露してみました。
けだし名言で、考える能力の無い者や考えることを放棄した者は、ヒト以下の存在であると、わたしは想っています。
そして、理不尽な突然死に襲われる恐れの無い世界を平和と呼ぶのなら、現在の、自らを生かすための努力をも放棄したような者でさえその生命を保証されるような世界は、退廃と呼ばれてしかるべきだと考えます。
聊か傲慢な表現になりますが、莫迦・愚鈍が、「罪悪のひとつとして、当然のデメリット」とされないような現代日本は、間違いなく退廃の中にあると想います。
赤い方々が大好きな生存権と云う言葉があります。
でもこれは、「誰もが理不尽な突然死に襲われることの無い、自分で自分の人生を全うできる権利」のことだとわたしは信じて疑いません。自身を生かす義務と同等の言葉だと信じて疑いません。
現状のように、「自ら働いて自らを生かす義務を負いたくはないが、我には生存権があるのだから、誰かが我を生かせ」と云うが如き横暴だとは、わたしにはとても考えられません。
何が言いたいのかと云うと、今回のバス事故のこと。
格安深夜バスの類が起こしたフェイタルな事故は、ここ数年で枚挙に厭わず。今回もまた繰り返しただけ。
廉価な商品には当然廉価な理由があります。労働をして賃金を得た経験がある人間ならば、誰でもほんの僅かばかり考えればその真理は理解できるはずです。
安全にかける僅かばかりの金をケチった人間が、正しくその対価を支払っただけのことだとわたしは想っています。
昨年騒ぎになったユッケも同じ。
自分の人件費などから考えても、提示された格安の商品に、最低限の安全にかける経費が加算されているのか否か、少しでも考えれば解るようなこと。
そんな程度のことも、まともに考えないから、今回のような事故は起こる。
事業者には安全を提供する義務がある、と云う建前を口にするのは簡単です。
でも、消費者が、安全を無視した格安商品を好むから、今回のような安全度外視の商品が市場に溢れるのです。それを無視して建前だけを強弁することは許しません。
何故なら、どの業界でも、安全度外視の価格競争をせざるを得ない程、無思慮に格安商品に群がる大衆消費者が、安全を商品価格に上乗せする事業者を破産させてきた事実があるのですから。
わたしは、件の如き廉価飲食店で生肉を食べたことはありません。自己責任の下に、友人が狩った鹿の生肉は食べますけど。店で口にするならば、一定以上のレベルのお店で信頼できる価格で提供されている場合のみ。
わたしは、件の如き廉価交通手段で移動をしたことがありません。安全を適正価格で買っていると思っています。
消費者の側に、無思慮に格安商品に飛びつくのではなく、「その価格は明らかに何かおかしいだろう?」と云う、当たり前の感覚と考えを求めることはおかしいことなのでしょうか?
誰もが「正しい」金銭感覚を持ち、怪しげな業者を選択肢から外していけば、行政指導や法律の強化などなくても、事故を起こすような業者は淘汰されていく筈なんです。
ちょっと視点と論点が変わりますが、無思慮に格安商品に飛びつくということは、翻って、その商品、ひいてはその商品に関わる人間の人件費に、「その程度の価値しかない」と断ずることでもあります。それが廻り廻って、自らの人件費も「その程度で充分」と云うことに繋がっているという事実も、正しく認識されるべきだと想います。
バス会社を責めるしか能がないマスゴミにあまりにも腹が立ったため、正直に想うところを吐露してみました。
まぁ、あくまでもこれはエイプリルフールのネタ的な何かですので、間違っても本気にしないようにお願いします。
・・・と、前置きした上で。
なぁなぁ、今、日本はなんと、超左翼的な民主党政権なんやでw
しかも、総理大臣はあの、イライラするしか能の無い菅なんやw
それでも不思議なことに、ちゃんと日本の国土と日本国民の将来のことを真剣に考えて、、、日本中華化政策を絶賛推進中なんだぜw
平和ボケした一般市民はあんまり気付いてないけどな!
いやぁ、エイプリルフールを口実に嘘を吐いたのって、何年ぶりかしらw?
・・・と、前置きした上で。
なぁなぁ、今、日本はなんと、超左翼的な民主党政権なんやでw
しかも、総理大臣はあの、イライラするしか能の無い菅なんやw
それでも不思議なことに、ちゃんと日本の国土と日本国民の将来のことを真剣に考えて、、、日本中華化政策を絶賛推進中なんだぜw
平和ボケした一般市民はあんまり気付いてないけどな!
いやぁ、エイプリルフールを口実に嘘を吐いたのって、何年ぶりかしらw?
「酷い」なんて上等なものではない。
2011年3月2日 エッセイ コメント (1) 以前にも書きましたが、わたしは今、職場が野並なので毎朝、野並の地下鉄入り口付近の喧騒を眺めております。
近頃は、ほぼ毎日のように、「朝立ち」と呼ばれる現象を目にすることができます。
・・・朝立ちって、健全な男子の下半身に毎朝起こる神秘の現象ではないですよw
・・・政治家及びその半人前が、朝から自分勝手な主義主張を繰り広げるマイクパフォーマンスのことですよw
いちばん多いのが、名古屋史上最悪の素人集団であるところの「減税日本」と、その候補者候補(日本語ややこしいな、でも、まだ、市議選告示前だし個人名出てる方がおかしいよねw)の河合某。
次点で多いのが、国政レベルで超残念な素人集団であるところの「みんなの党」の興味も無いから名前も覚えていないとある候補者候補。
・・・民主党はいちどだけ見たけど二度と見てないから、ちゃんと教育されたんだろうと思う。共産党も時々見る。社民党は見ないけど、多分金が無いのか候補者が居ないのかどっちかだろう。
流石に自民党だけは、いちどもこう云った公職選挙法違反は見ない。こっそりカネ配ってるかもしれないけど、これは下種な勘繰りの範疇で、一切違反を見聞しない。
明確な公職選挙法違反だというのに、個人名の染め抜かれたのぼりは立てるわ、連呼行為は繰り返すわ、「酷い」と云う言葉では言い表せない程、名前を挙げたふたつの政党は最悪だ。
政治家として立候補しようとする輩が、国政・県政・市政のレベルの差はあれども、卑しくも立法府或いはその類に属しようと意図する者が、その最前提たる公職選挙法すら欠片ほども勉強していない、唯の高卒素人のわたしにこんなこと書かれる程度のド素人レベルで違法行為からスタートしようとしているのは、このイレギュラーな市議選で自らの属する自治体の未来を託さなければいけない選挙民として、そしてその自治体で市民に奉仕する地方公務員として、消えてしまいそうな程情けなく恥ずかしいです。
近頃は、ほぼ毎日のように、「朝立ち」と呼ばれる現象を目にすることができます。
・・・朝立ちって、健全な男子の下半身に毎朝起こる神秘の現象ではないですよw
・・・政治家及びその半人前が、朝から自分勝手な主義主張を繰り広げるマイクパフォーマンスのことですよw
いちばん多いのが、名古屋史上最悪の素人集団であるところの「減税日本」と、その候補者候補(日本語ややこしいな、でも、まだ、市議選告示前だし個人名出てる方がおかしいよねw)の河合某。
次点で多いのが、国政レベルで超残念な素人集団であるところの「みんなの党」の興味も無いから名前も覚えていないとある候補者候補。
・・・民主党はいちどだけ見たけど二度と見てないから、ちゃんと教育されたんだろうと思う。共産党も時々見る。社民党は見ないけど、多分金が無いのか候補者が居ないのかどっちかだろう。
流石に自民党だけは、いちどもこう云った公職選挙法違反は見ない。こっそりカネ配ってるかもしれないけど、これは下種な勘繰りの範疇で、一切違反を見聞しない。
明確な公職選挙法違反だというのに、個人名の染め抜かれたのぼりは立てるわ、連呼行為は繰り返すわ、「酷い」と云う言葉では言い表せない程、名前を挙げたふたつの政党は最悪だ。
政治家として立候補しようとする輩が、国政・県政・市政のレベルの差はあれども、卑しくも立法府或いはその類に属しようと意図する者が、その最前提たる公職選挙法すら欠片ほども勉強していない、唯の高卒素人のわたしにこんなこと書かれる程度のド素人レベルで違法行為からスタートしようとしているのは、このイレギュラーな市議選で自らの属する自治体の未来を託さなければいけない選挙民として、そしてその自治体で市民に奉仕する地方公務員として、消えてしまいそうな程情けなく恥ずかしいです。
家族からの信頼が冷たいw
2010年9月19日 エッセイ 先日のこと。
平日の昼休み、職場近くで昼食を採っていたら、久しぶりに母から電話がかかってきました。
で、母の第一声。
「アンタ、今どこに居るの?」
・
・
・
(爆)
どうやらわたしは、実の母親からも、平日も平気で仕事をサボって日本中を渡り歩いていると思われているようですw
平日の昼休み、職場近くで昼食を採っていたら、久しぶりに母から電話がかかってきました。
で、母の第一声。
「アンタ、今どこに居るの?」
・
・
・
(爆)
どうやらわたしは、実の母親からも、平日も平気で仕事をサボって日本中を渡り歩いていると思われているようですw
日常ノ戯言 或イハ 毒吐キ 其ノ3:アナタアタマワルイネ~!
2010年3月12日 エッセイ 「理解できない」ってことば、最近流行っているんですか?
議論の内容はわたしの保身のために置いておいて、沖縄県とか佐賀県とかの知事が最近、公式コメントとして「理解できない」と云う発言をなさっておられます。
超絶アタマ悪いか、政治的センスが欠落しているのか。
どちらにしても県民にとっては不幸ですねw
話の内容の好みはともかく、件の議論は、とりたてて難しくもない日本語でなされています。悲しいを通り越して哀れになる程理解力が無いのでしょうか。それとも、「理解」と「納得」と云う日本語の違いをそれこそ「理解」できていないのでしょうか。
どちらにしても、県知事としての資質が疑われるぐらいには、アタマが悪い話ですねw
それとも、そこいら辺を解かった上で、議論する気も無いと言い切ってしまうための、意味が通じない日本語の使用法である「理解できない」と云う発言をなさったのでしょうか。
そうだとしたら、知事ってば政治家のポストである筈なのに、センスが無さ過ぎる話ですよね。コイツとは議論ができない、って判断されてしまうのですものw
…とりあえず、いち市民であるわたしでも、例えば、「解かる」と「判る」を使い分けていますw
議論の内容はわたしの保身のために置いておいて、沖縄県とか佐賀県とかの知事が最近、公式コメントとして「理解できない」と云う発言をなさっておられます。
超絶アタマ悪いか、政治的センスが欠落しているのか。
どちらにしても県民にとっては不幸ですねw
話の内容の好みはともかく、件の議論は、とりたてて難しくもない日本語でなされています。悲しいを通り越して哀れになる程理解力が無いのでしょうか。それとも、「理解」と「納得」と云う日本語の違いをそれこそ「理解」できていないのでしょうか。
どちらにしても、県知事としての資質が疑われるぐらいには、アタマが悪い話ですねw
それとも、そこいら辺を解かった上で、議論する気も無いと言い切ってしまうための、意味が通じない日本語の使用法である「理解できない」と云う発言をなさったのでしょうか。
そうだとしたら、知事ってば政治家のポストである筈なのに、センスが無さ過ぎる話ですよね。コイツとは議論ができない、って判断されてしまうのですものw
…とりあえず、いち市民であるわたしでも、例えば、「解かる」と「判る」を使い分けていますw
日常ノ戯言 或イハ 毒吐キ 其ノ2:ポリティカルネタは死の匂いw
2010年3月11日 エッセイ 自分では中道左派だと思っているわたしですが、よく知る方から、最近は右翼系ガチ保守だと言われて軽く凹んでいますw
昔からそんなに変わったつもりはないのですけれどねぇ…キューバ大好きだし(意味が違うw)
まぁ、消去法の結果、現在支持に値する政党が、わたしの場合、立場如何も関係して、自由民主党1本だと云うのも事実なのですが。
ところで、最近は年中行事のような、目立ちたがり屋の莫迦共の執行部批判が、度を越して莫迦と云うか、余りにも憐れで我慢できなくなってきています。
あのさぁ、自民党の中でも悪目立ちする連中が、マスコミを通じて広く国民の目の前で自民党不支持の姿勢を表わしていて、どうやったら選良がそんな自民党を支持すると思えるのかw
その度を越した頭の悪さが、涙を誘います。
しかも、そんな愚者のパーティーが、それでも比較した結果少なくともわたしにとってはベストな選択肢だと云うのが、更に枕を濡らします。
…売国されるよりは、マシだもんなぁ…
昔からそんなに変わったつもりはないのですけれどねぇ…キューバ大好きだし(意味が違うw)
まぁ、消去法の結果、現在支持に値する政党が、わたしの場合、立場如何も関係して、自由民主党1本だと云うのも事実なのですが。
ところで、最近は年中行事のような、目立ちたがり屋の莫迦共の執行部批判が、度を越して莫迦と云うか、余りにも憐れで我慢できなくなってきています。
あのさぁ、自民党の中でも悪目立ちする連中が、マスコミを通じて広く国民の目の前で自民党不支持の姿勢を表わしていて、どうやったら選良がそんな自民党を支持すると思えるのかw
その度を越した頭の悪さが、涙を誘います。
しかも、そんな愚者のパーティーが、それでも比較した結果少なくともわたしにとってはベストな選択肢だと云うのが、更に枕を濡らします。
…売国されるよりは、マシだもんなぁ…
最高峰の舞台と、最低限以下の生活と。
2008年12月10日 エッセイ コメント (3) ちょっと、ほんのちょっとだけ時期がずれてしまいましたが。
名門ホンダが、F1から撤退するそうですね。セナ・プロスト時代を殆ど知らず、即ちホンダの黄金期をまったくと言っていい程知らないわたしですが、その後のミハエル・シューマッハ全盛期にF1の魅力に取り付かれ、いち時期は月曜日休みと云う素敵な職場に居た時期もあって、よく見ていました。
…まぁそれも、シューマッハ引退からこちら、殆ど見ていないのですけれどね…
ともあれ、この世界恐慌とも呼ぶべき不景気により、ホンダはF1からの撤退を表明した訳ですよ。
確かに、F1と云うのは巨額の資金が掛かる。世界的に自動車が売れないこの時期、一説には年間500億円ともいわれる経費の負担は厳しいものがあるのでしょう。
しかし、このホンダのF1撤退のニュースを、いちばんの衝撃を以って受け止めているのは、誰或いはどの業界、法人でしょうか?
ファンは勿論、F1業界そのものも多大なショックを蒙っているでしょうが、わたしの邪推するところ、世界中でいちばんショックを受けているのは、トヨタではないかと思います。
ご承知の通り、トヨタはトヨタらしく、この不況の折さっさと多数の期間工の解雇を表明しました。
その一方で、巨額の資金を消費するF1の来期については、いっさいアナウンスされていません。
些か古い資料ですが、トヨタがF1に掛ける資金は、2006年シーズンは、およそ600億円だったとされています。その後、空前の利益を上げ、F1での勝利を渇望していたトヨタがその予算を削減したとはとても考えられませんので、今シーズンも廉く見積もっても同額程度は支出されていたことでしょう。
このところの円高もあり、表面的にF1の予算を2割カットとかパフォーマンスをしてみても、ドル換算すると予算が全く減っていないミラクルも演出できそうです。
ところで、ホンダと同じくF1を撤退し、その費用を雇用の安定に振り替えれば、年間コスト600万円までの労働者なら、1万人もの雇用を維持できる計算になります。
少なくとも、大企業の社会的責任としては、投資としては割に合うとは思えないF1は撤退、最低限この1万人までの雇用は護った上で、更に足りなければ已む無く一部解雇、と云うのが筋ではないでしょうか。
かたやF1の参戦は続け、ハケンや期間工は解雇、と云うのは日本人の美学にはそぐわないと思いますが、如何なものでしょうね。特にこの年末に解雇なんて、中の人は日本人ぢゃないんじゃない?
その経営姿勢って、自家用ジェットで議会に物乞いに行き失笑を買ったアメリカビッグ3のトップと、精神面において何も変わらないと思いますけど。
常々、気に入らないと思っている外来語があります。リストラと云うんですけど、日本語のリストラって、首切りって意味ですよね。
でも、語源となった「ReStructuring」って、再構築って意味だよね。
業務内容を見直し、効率よく再構築することによってコストを削減する。その結果、余剰人員が発生するなら整理する、と云うのが本来の意味。
卑怯卑劣な大企業のように、リストラの名の下に人員削減をした結果、残った社員が過労死寸前なんていうのは、ただの不法労働行為であって、経済行為の再構築ではないでしょ。
もしも来期、このままトヨタがF1を走っていたら、わたしはたぶん、首切りされた労働者の怨念で走っているとしか思えないでしょうし、全く・欠片ほども応援する気にならないでしょう。
名門ホンダが、F1から撤退するそうですね。セナ・プロスト時代を殆ど知らず、即ちホンダの黄金期をまったくと言っていい程知らないわたしですが、その後のミハエル・シューマッハ全盛期にF1の魅力に取り付かれ、いち時期は月曜日休みと云う素敵な職場に居た時期もあって、よく見ていました。
…まぁそれも、シューマッハ引退からこちら、殆ど見ていないのですけれどね…
ともあれ、この世界恐慌とも呼ぶべき不景気により、ホンダはF1からの撤退を表明した訳ですよ。
確かに、F1と云うのは巨額の資金が掛かる。世界的に自動車が売れないこの時期、一説には年間500億円ともいわれる経費の負担は厳しいものがあるのでしょう。
しかし、このホンダのF1撤退のニュースを、いちばんの衝撃を以って受け止めているのは、誰或いはどの業界、法人でしょうか?
ファンは勿論、F1業界そのものも多大なショックを蒙っているでしょうが、わたしの邪推するところ、世界中でいちばんショックを受けているのは、トヨタではないかと思います。
ご承知の通り、トヨタはトヨタらしく、この不況の折さっさと多数の期間工の解雇を表明しました。
その一方で、巨額の資金を消費するF1の来期については、いっさいアナウンスされていません。
些か古い資料ですが、トヨタがF1に掛ける資金は、2006年シーズンは、およそ600億円だったとされています。その後、空前の利益を上げ、F1での勝利を渇望していたトヨタがその予算を削減したとはとても考えられませんので、今シーズンも廉く見積もっても同額程度は支出されていたことでしょう。
このところの円高もあり、表面的にF1の予算を2割カットとかパフォーマンスをしてみても、ドル換算すると予算が全く減っていないミラクルも演出できそうです。
ところで、ホンダと同じくF1を撤退し、その費用を雇用の安定に振り替えれば、年間コスト600万円までの労働者なら、1万人もの雇用を維持できる計算になります。
少なくとも、大企業の社会的責任としては、投資としては割に合うとは思えないF1は撤退、最低限この1万人までの雇用は護った上で、更に足りなければ已む無く一部解雇、と云うのが筋ではないでしょうか。
かたやF1の参戦は続け、ハケンや期間工は解雇、と云うのは日本人の美学にはそぐわないと思いますが、如何なものでしょうね。特にこの年末に解雇なんて、中の人は日本人ぢゃないんじゃない?
その経営姿勢って、自家用ジェットで議会に物乞いに行き失笑を買ったアメリカビッグ3のトップと、精神面において何も変わらないと思いますけど。
常々、気に入らないと思っている外来語があります。リストラと云うんですけど、日本語のリストラって、首切りって意味ですよね。
でも、語源となった「ReStructuring」って、再構築って意味だよね。
業務内容を見直し、効率よく再構築することによってコストを削減する。その結果、余剰人員が発生するなら整理する、と云うのが本来の意味。
卑怯卑劣な大企業のように、リストラの名の下に人員削減をした結果、残った社員が過労死寸前なんていうのは、ただの不法労働行為であって、経済行為の再構築ではないでしょ。
もしも来期、このままトヨタがF1を走っていたら、わたしはたぶん、首切りされた労働者の怨念で走っているとしか思えないでしょうし、全く・欠片ほども応援する気にならないでしょう。
過日、10月使用分のクレジットカードの請求が来た。海外通販専用、まぁ要するに個人輸入の決裁専用のカードだ。
いきおい、全ての元請求がドルだったりスイスフランだったりする訳なのですが。
10月は、ちょっと買い物をし過ぎた自覚がありました。
値引きと云うセールストークに釣られて、葉巻を50本近く購入していたのです。
日本国内での流通価格にすると、15万円を軽く超えると云う数量です。関税や煙草税などだけで、1万円以上払いましたし。
で、ちょっと請求額が怖かったのですが。
届いた金額は、7万5千円以下でした。かなり吃驚。
だって、国内価格の半額以下ですよ。勿論、別に税を払っているので単純に比較するものでもないのですが、それを計算に入れても、6割以下。廉過ぎる!
これが、強い円と云うことかと、身を以って実感しましたw
いきおい、全ての元請求がドルだったりスイスフランだったりする訳なのですが。
10月は、ちょっと買い物をし過ぎた自覚がありました。
値引きと云うセールストークに釣られて、葉巻を50本近く購入していたのです。
日本国内での流通価格にすると、15万円を軽く超えると云う数量です。関税や煙草税などだけで、1万円以上払いましたし。
で、ちょっと請求額が怖かったのですが。
届いた金額は、7万5千円以下でした。かなり吃驚。
だって、国内価格の半額以下ですよ。勿論、別に税を払っているので単純に比較するものでもないのですが、それを計算に入れても、6割以下。廉過ぎる!
これが、強い円と云うことかと、身を以って実感しましたw
個人の感覚としてはやっかみも妬み嫉みもいいが、記事にされると醜悪過ぎる
2008年10月25日 エッセイ コメント (3) 近頃話題の、わが国の宰相の行状についての雑感。
わたしにとって都合のいい資料は、このサイト。
http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50730570.html
ぜひ、上のリンクのページを読んでから、考えてみて欲しい。
大国である日本の宰相が、そこらの学生向けの安酒場でホッピーなぞを呷っていたとしたら、それこそ国辱ではないのか。偶のパフォーマンスを兼ねた若いサラリーマンとの直接交流と云うのならそれもありでしょうが、毎日がそれなら、わたしならそんな国は恥ずかしいね。
焼き鳥屋で呑めと云わんばかりのコメントを発信したミンス党の重鎮である韓さんw、貴方普段どこで呑んでます?
ホテルのバーが廉いと云うのは、歴然たる事実です。
歴代の政治家や、偉そうに記事書いてる記者連中自身ですら、しばしば接待や密談で使用するような所謂「赤坂」や「銀座」の店であってみろ。座っただけで6桁の数字が伝票に記載されるだろう。それに比べたら、せいぜい国内では、どんな高級ホテルのバーで高給酒を呑んだって、シャンパンやワインを空けない限り、6桁なんて数字は請求されないのだから。
わたし自身、昨年末新宿の所謂「ちょっといいホテル」に宿泊した折、そこのメインバーで、モルトを中心に高給酒を値段も見ずに呑みたいだけ呑んだが、請求された金額はたかが知れたものだった。
わたしはいつも、バーでは安酒は呑まないし呑めない。酒を注文する際にその値段を尋ねるなんて野暮なこともしない。禁酒法時代のアメリカのバーボンなんて逸品も呑んだ事があるし、グラン・シャンパーニュの葡萄生産者の重鎮の家の、プライヴェートボトルのコニャックの75年物なんてシロモノも呑んだ事がある。それでも、6桁の数字の金額なんて払ったことはない。
一介のサラリーマンでしかないわたしでさえ、多少贅沢な趣味だとは思うが、ホテルのバーなんてものには手が届く。
しかも、麻生氏がよく注文すると紹介されている葉巻ですが、葉巻と云うだけで確かに高級品、贅沢品のイメェジがあるだろうし、それは確かな事実だ。
しかし、紹介されていた葉巻は、キューバの品としては決して高価ではなく、寧ろ好きで毎日吸うならこの程度と云うお手頃価格品でしかない。実際、いつだったかの軽薄な流行ドラマで木村拓也とやらが吸っていた葉巻の方が、その倍程度高価な品だった。
つまり、これも大国一国の宰相の趣味としては、ほんのささやかなものでしかない。事実、わたしはこれよりも国内流通価格で高価な葉巻をほぼ毎日吸っている。
繰り返し書くが、わたしはたかだた一介のサラリーマンです。月給以外に、特別な収入なんてものは全くありません。
毎日のバー通い、毎日上記の葉巻を吸ったとして、それがたかだかホテルのバーでしたら、月に100万円もかかっていないと試算できます。
たったこれだけの贅沢を、しかも政治資金ではない自分のポケットマネーで賄って尚、くだらない因縁をつけて絡まれるのなら、それこそこの国の若者は、将来に何の夢も希望も持てないのではないでしょうか?
宰相にまで上り詰めても、その程度の贅沢すら許されない国って、将来があるんですか?
毎日のように足代わりに距離も金額も気にせずにタクシーを乗り回し、要人取材や張り込みと称して自らが云う高給店で経費で呑み食いし、かかる上に有事の時にある一国の宰相を貶めるような記事しか書かないような記者や新聞社は、それこそ、自らに恥じるところはないんですか?
わたしにとって都合のいい資料は、このサイト。
http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50730570.html
ぜひ、上のリンクのページを読んでから、考えてみて欲しい。
大国である日本の宰相が、そこらの学生向けの安酒場でホッピーなぞを呷っていたとしたら、それこそ国辱ではないのか。偶のパフォーマンスを兼ねた若いサラリーマンとの直接交流と云うのならそれもありでしょうが、毎日がそれなら、わたしならそんな国は恥ずかしいね。
焼き鳥屋で呑めと云わんばかりのコメントを発信したミンス党の重鎮である韓さんw、貴方普段どこで呑んでます?
ホテルのバーが廉いと云うのは、歴然たる事実です。
歴代の政治家や、偉そうに記事書いてる記者連中自身ですら、しばしば接待や密談で使用するような所謂「赤坂」や「銀座」の店であってみろ。座っただけで6桁の数字が伝票に記載されるだろう。それに比べたら、せいぜい国内では、どんな高級ホテルのバーで高給酒を呑んだって、シャンパンやワインを空けない限り、6桁なんて数字は請求されないのだから。
わたし自身、昨年末新宿の所謂「ちょっといいホテル」に宿泊した折、そこのメインバーで、モルトを中心に高給酒を値段も見ずに呑みたいだけ呑んだが、請求された金額はたかが知れたものだった。
わたしはいつも、バーでは安酒は呑まないし呑めない。酒を注文する際にその値段を尋ねるなんて野暮なこともしない。禁酒法時代のアメリカのバーボンなんて逸品も呑んだ事があるし、グラン・シャンパーニュの葡萄生産者の重鎮の家の、プライヴェートボトルのコニャックの75年物なんてシロモノも呑んだ事がある。それでも、6桁の数字の金額なんて払ったことはない。
一介のサラリーマンでしかないわたしでさえ、多少贅沢な趣味だとは思うが、ホテルのバーなんてものには手が届く。
しかも、麻生氏がよく注文すると紹介されている葉巻ですが、葉巻と云うだけで確かに高級品、贅沢品のイメェジがあるだろうし、それは確かな事実だ。
しかし、紹介されていた葉巻は、キューバの品としては決して高価ではなく、寧ろ好きで毎日吸うならこの程度と云うお手頃価格品でしかない。実際、いつだったかの軽薄な流行ドラマで木村拓也とやらが吸っていた葉巻の方が、その倍程度高価な品だった。
つまり、これも大国一国の宰相の趣味としては、ほんのささやかなものでしかない。事実、わたしはこれよりも国内流通価格で高価な葉巻をほぼ毎日吸っている。
繰り返し書くが、わたしはたかだた一介のサラリーマンです。月給以外に、特別な収入なんてものは全くありません。
毎日のバー通い、毎日上記の葉巻を吸ったとして、それがたかだかホテルのバーでしたら、月に100万円もかかっていないと試算できます。
たったこれだけの贅沢を、しかも政治資金ではない自分のポケットマネーで賄って尚、くだらない因縁をつけて絡まれるのなら、それこそこの国の若者は、将来に何の夢も希望も持てないのではないでしょうか?
宰相にまで上り詰めても、その程度の贅沢すら許されない国って、将来があるんですか?
毎日のように足代わりに距離も金額も気にせずにタクシーを乗り回し、要人取材や張り込みと称して自らが云う高給店で経費で呑み食いし、かかる上に有事の時にある一国の宰相を貶めるような記事しか書かないような記者や新聞社は、それこそ、自らに恥じるところはないんですか?
解散権って誰のもの?
2008年9月30日 エッセイ マスゴミが解散解散と五月蠅いです。
野党と、公然の秘密として与党の一部(片方の政党とも言うw)が求めている衆議院の解散総選挙ですが、今の雰囲気っておかしくないですか。
本来、現在の衆議院の任期は来年の9月上旬まである筈です。そして衆議院の解散は、憲法の規定によれば、首相の専権事項である筈です。
今現在、衆議院では与党が3分の2以上の議席を占めています。参議院で否決された議案でも、衆議院で再可決できる圧倒的多数です。前回の選挙は郵政フィーヴァーで国民が騙された結果なのですけれど。
解散総選挙をやったら、この数字は間違いなく確保できません。
それどころか、再可決可能な3分の2の議席を確保できなくなった時点で、それでも自民党が与党であるならば、殆どの法案は可決されないと云う、非常に危険な政治の停滞を招くことが目に見えています。
ガソリン税の暫定税率の時の、現野党の醜い政争姿勢を、わたしは忘れることができません。これは余談ですが、参議院で多数を占める現野党は、新法案を60日放置して、前法案の期限が切れると云う事態を招き、それが結果として短い間に2回も便乗値上げの機会を業者に提供しましたね。主張に理があると思うのならば、粛々と採決するべきだったのに。参議院の本来の仕事を60日間もサボって、2回もガソリンを便乗値上げさせて、その間の議員歳費は受け取っているのね。視線が国民生活には無く、国会内の勢力争いにしか興味が無いことの証左だと思っていますよ、わたしは。
そんな状況下で、解散総選挙を首相が決断すると考えること自体が気違い染みているとわたしは思うのだがね。
普段は護憲と五月蠅い売国的左翼政党やらマスゴミやらは、自分に都合の悪い憲法の規程には無頓着過ぎやしませんか?
その二重基準に、政党や報道機関として恥じるところは無いんですか?
とりあえず、マスゴミが無責任に解散と煽る所為で、MTGのオーガナイザーが大変迷惑しているんですよw
既に取ってあった会場から、「選挙と重なりそうだから強制キャンセル」って連絡を貰って泣いている人の話も聞きましたし。イヴェントの合間を縫って個人主催をやろうとしても、「その辺りは選挙の関係ではっきりしないので、部屋は貸せません」とか言われてみたり。
いいか、マスゴミ共、よく覚えて置け。衆議院ってのはなぁ、首相が宣言しない限り解散しないんだ。風説の流布で世間を混乱させるんぢゃねぇ。傍迷惑な!
野党と、公然の秘密として与党の一部(片方の政党とも言うw)が求めている衆議院の解散総選挙ですが、今の雰囲気っておかしくないですか。
本来、現在の衆議院の任期は来年の9月上旬まである筈です。そして衆議院の解散は、憲法の規定によれば、首相の専権事項である筈です。
今現在、衆議院では与党が3分の2以上の議席を占めています。参議院で否決された議案でも、衆議院で再可決できる圧倒的多数です。前回の選挙は郵政フィーヴァーで国民が騙された結果なのですけれど。
解散総選挙をやったら、この数字は間違いなく確保できません。
それどころか、再可決可能な3分の2の議席を確保できなくなった時点で、それでも自民党が与党であるならば、殆どの法案は可決されないと云う、非常に危険な政治の停滞を招くことが目に見えています。
ガソリン税の暫定税率の時の、現野党の醜い政争姿勢を、わたしは忘れることができません。これは余談ですが、参議院で多数を占める現野党は、新法案を60日放置して、前法案の期限が切れると云う事態を招き、それが結果として短い間に2回も便乗値上げの機会を業者に提供しましたね。主張に理があると思うのならば、粛々と採決するべきだったのに。参議院の本来の仕事を60日間もサボって、2回もガソリンを便乗値上げさせて、その間の議員歳費は受け取っているのね。視線が国民生活には無く、国会内の勢力争いにしか興味が無いことの証左だと思っていますよ、わたしは。
そんな状況下で、解散総選挙を首相が決断すると考えること自体が気違い染みているとわたしは思うのだがね。
普段は護憲と五月蠅い売国的左翼政党やらマスゴミやらは、自分に都合の悪い憲法の規程には無頓着過ぎやしませんか?
その二重基準に、政党や報道機関として恥じるところは無いんですか?
とりあえず、マスゴミが無責任に解散と煽る所為で、MTGのオーガナイザーが大変迷惑しているんですよw
既に取ってあった会場から、「選挙と重なりそうだから強制キャンセル」って連絡を貰って泣いている人の話も聞きましたし。イヴェントの合間を縫って個人主催をやろうとしても、「その辺りは選挙の関係ではっきりしないので、部屋は貸せません」とか言われてみたり。
いいか、マスゴミ共、よく覚えて置け。衆議院ってのはなぁ、首相が宣言しない限り解散しないんだ。風説の流布で世間を混乱させるんぢゃねぇ。傍迷惑な!
マスゴミ、ネタにし過ぎ。
「単一民族」発言は確かに政治家としては失点だが、それ以外は全部、正しいよね。
日教組がガンなのは事実だし、現実に組合の強い地域の学力が比較的低いといえるような資料も存在します。その資料の信憑性までは保証できませんが。
所謂ナリタがごね得なのも事実でしょう。自称運動家の一坪地主とか、浅ましいことこの上ない。全き他人が計画の該当地をたった一坪だけ入手して、地主面して自分の欲を国益に優先してきただけのこと。
「言葉狩り」と云う、言論の自由を蔑ろにする行為をテレヴィや新聞などが率先して行い、マス・ヒステリによってその職務に何の落ち度も無い現役大臣を失職させた事実が恐ろしいです。
…これが所謂、ジャパニーズ・イジメですか?
確かに時期と自らの立場を考えろとは思うけれど、大臣と云う国家の要職にある人物ですら正しいことを正しいと言えない社会は恐ろしいと思う。
政治家と云う、自らの言葉で今の現実と未来の夢を語ることが仕事の職業に居てさえ、自身の信念を正直に語ったら集中砲火を受けると云う事実は、背筋を凍らせるに充分である。
報道機関を自認するマスコミは、事実のみを報道せよ。要らぬ脚色をして、あまつさえ攻撃をするのは世論操作・洗脳以外の何物でもない!
言論機関を自認するマスコミは、その主張を持ってするに公平であれ。変節してまでひとつ勢力だけを叩くとか、勉強不足で真の国益が見えていないとかに到っては恥と知れ!
追記
某アカヒ新聞の名物コラムである天性珍語に、この新聞社の本質を如実に表す下劣な言葉があったので引用する。
辞職した某大臣を指して「この内閣のあすを暗示するかのような、在任約90時間の幻影だった」と。
前大臣の発言が辞任に値する失言だと責めるのならば、この非見識極まりない、失礼な言葉を新聞と云う公器に載せた責任はどう考えるのか、問いたい。
どの部分がどう非見識で失礼なのか解らない様では、新聞人としての存在価値すらない。
「単一民族」発言は確かに政治家としては失点だが、それ以外は全部、正しいよね。
日教組がガンなのは事実だし、現実に組合の強い地域の学力が比較的低いといえるような資料も存在します。その資料の信憑性までは保証できませんが。
所謂ナリタがごね得なのも事実でしょう。自称運動家の一坪地主とか、浅ましいことこの上ない。全き他人が計画の該当地をたった一坪だけ入手して、地主面して自分の欲を国益に優先してきただけのこと。
「言葉狩り」と云う、言論の自由を蔑ろにする行為をテレヴィや新聞などが率先して行い、マス・ヒステリによってその職務に何の落ち度も無い現役大臣を失職させた事実が恐ろしいです。
…これが所謂、ジャパニーズ・イジメですか?
確かに時期と自らの立場を考えろとは思うけれど、大臣と云う国家の要職にある人物ですら正しいことを正しいと言えない社会は恐ろしいと思う。
政治家と云う、自らの言葉で今の現実と未来の夢を語ることが仕事の職業に居てさえ、自身の信念を正直に語ったら集中砲火を受けると云う事実は、背筋を凍らせるに充分である。
報道機関を自認するマスコミは、事実のみを報道せよ。要らぬ脚色をして、あまつさえ攻撃をするのは世論操作・洗脳以外の何物でもない!
言論機関を自認するマスコミは、その主張を持ってするに公平であれ。変節してまでひとつ勢力だけを叩くとか、勉強不足で真の国益が見えていないとかに到っては恥と知れ!
追記
某アカヒ新聞の名物コラムである天性珍語に、この新聞社の本質を如実に表す下劣な言葉があったので引用する。
辞職した某大臣を指して「この内閣のあすを暗示するかのような、在任約90時間の幻影だった」と。
前大臣の発言が辞任に値する失言だと責めるのならば、この非見識極まりない、失礼な言葉を新聞と云う公器に載せた責任はどう考えるのか、問いたい。
どの部分がどう非見識で失礼なのか解らない様では、新聞人としての存在価値すらない。
首相の辞意表明から数日。
散々各所で「無責任」と囃し立てているのだが…
件の福田氏よりも無責任な、薄っぺらな批判にしか聞こえないのは何故でしょう?
いいわよねぇ、自称ジャーナリストって。言いっ放しで、何も責任取らなくていいんですもの。憬れないわぁw
…因みに、今回はわたし、本当に裏話的なものは何も知りませんので。少なくとも噂以上のレベルのものは…
自戒も含めつつ、わたしが大好きな言葉を。
「知らずに判断を下すほど傲慢な行為はない」
散々各所で「無責任」と囃し立てているのだが…
件の福田氏よりも無責任な、薄っぺらな批判にしか聞こえないのは何故でしょう?
いいわよねぇ、自称ジャーナリストって。言いっ放しで、何も責任取らなくていいんですもの。憬れないわぁw
…因みに、今回はわたし、本当に裏話的なものは何も知りませんので。少なくとも噂以上のレベルのものは…
自戒も含めつつ、わたしが大好きな言葉を。
「知らずに判断を下すほど傲慢な行為はない」
今年もお世話になりました
2007年12月31日 エッセイ 今日、コミケから帰ってきて、とりあえず今はゆっくりしています。
今年も皆様には、大変お世話になりました。今年も皆様のおかげで生き延びることができましたw
来年もよろしくお願いします。
今年は、秋に恒例のライブなどがなくって、上京分が些か足りない気がしますが。年末に、いつも会っていた旧友のひとりと会えなかったのも残念ですね。来年は、とりあえず3月に最初の上京の予定がありますが、帝都の友人たちと呑みたいと想っています。
MTGの方では、GPが減ってしまった上に個人的な事情で北九州には行けずに、プレミアイヴェント分が著しく不足している感じです。
Finalsに参加した時に強く実感したのですが、やっぱりわたしは大きなイヴェントのスタッフをすることが大好きなんですね。
来年は、プレミアイヴェントの数も増えて、総てにジャッジ参加することができるように願っています。そして、来年こそ試験を受けたいですw
プレイヤーとしては、長いこと遊んできたこのゲームで、初めてレーティングが1700台に乗ったので、少し嬉しいです。このレベルを維持して、少しずつ上を目指していきたいですね。やっぱり負けるのは悔しいですから。
来年も、皆様も自分自身も、幸多い良い年になるように願っています。どんな神を信じるどんな国の人にも、等しく幸せがあるように…
P.S.超遠距離&時間差レス
アニマ様。Finalsの時は、直接お話をする機会はなかったと想いますので、たぶん違うかと。
また、次の国内GPなどの機会に、お話させていただくことができれば嬉しく想います。
今年も皆様には、大変お世話になりました。今年も皆様のおかげで生き延びることができましたw
来年もよろしくお願いします。
今年は、秋に恒例のライブなどがなくって、上京分が些か足りない気がしますが。年末に、いつも会っていた旧友のひとりと会えなかったのも残念ですね。来年は、とりあえず3月に最初の上京の予定がありますが、帝都の友人たちと呑みたいと想っています。
MTGの方では、GPが減ってしまった上に個人的な事情で北九州には行けずに、プレミアイヴェント分が著しく不足している感じです。
Finalsに参加した時に強く実感したのですが、やっぱりわたしは大きなイヴェントのスタッフをすることが大好きなんですね。
来年は、プレミアイヴェントの数も増えて、総てにジャッジ参加することができるように願っています。そして、来年こそ試験を受けたいですw
プレイヤーとしては、長いこと遊んできたこのゲームで、初めてレーティングが1700台に乗ったので、少し嬉しいです。このレベルを維持して、少しずつ上を目指していきたいですね。やっぱり負けるのは悔しいですから。
来年も、皆様も自分自身も、幸多い良い年になるように願っています。どんな神を信じるどんな国の人にも、等しく幸せがあるように…
P.S.超遠距離&時間差レス
アニマ様。Finalsの時は、直接お話をする機会はなかったと想いますので、たぶん違うかと。
また、次の国内GPなどの機会に、お話させていただくことができれば嬉しく想います。
日本型株式会社或いは日本型資本主義の歪さ
2007年7月4日 エッセイ 会社組織による不祥事が連日世間を騒がせています。最近起こった、或いは発覚した比較的大きな事件だけでも、ミートホープ社による偽装ミンチ事件、コムスンによる介護報酬の不正請求、ユニマット関連会社による都心での爆発事件など、事欠きません。
この総てに共通している、日本独特の事情があります。
それは、会社が組織として、掛けるべき経費の類をケチり、或いは不正に過大な請求をすることにより、「会社組織が」黒い利潤を得ようとする姿勢です。
先に日本独自の事情と記述しましたが、しかし、この種の不正は世界中どこでも見られるものでしょう。
しかし、不祥事に占めるこの種の不正の割合は、先進国と呼ばれる国々の中では日本は群を抜いています。
例えば、アメリカ産の牛肉に、何時まで経っても危険部位の混入が無くならないとか。これは、会社システムの問題ではなくて、末端の作業員の無知或いは手抜きに拠るところが大きい。ところが、日本の肉の偽装は、社長自らがゴミを高値で売りつけてぼろ儲けを企んだ結果です。
宅急便システムなどでも、他国では、末端の配達員のモラルの低さから窃盗が起こるのに対して、日本の会社では、最初から無茶とも言える配達時間指定制度を導入し、労働基準法を始めとする各種法規に違反してでもドライバーに無茶をさせた挙句、そもそも会社の意思として配達事故は保証金を払えばいいと云う考え方が主流です。
このような事態を引き起こしている原因に、成熟していない、或いは非常に日本独特な会社経営のシステムがあります。
殆どの方が、日本は資本主義の国だと想っているでしょう。
しかしその実、原理的な資本主義の意味すら理解できていない人が多いように想います。しかもこれは、経済の専門家を自認する人ほど顕著な傾向にあるようです。
中学生程度の社会科で、資本主義経済の基本については学ぶはずです。そこでは、会社組織について、このように説明されているはずです。曰く、「資本家が資本を、労働者が労働力を提供し合って利潤を求めて活動する法人格」であると。
これは、本来、資本主義における大原則である筈です。ところが日本では、この大原則が通用していない。
上記した大原則を理解した時、会社とは誰のものであるのかは明白です。それは資本家と労働者のものであり、社長などと呼ばれる存在は、ただ単に会社経営の専門家として雇われた一社員に過ぎません。
過激な考え方だと想われるかもしれませんが、この考え方こそが正しいと云う証明にうってつけの人物が居ます。カルロス・ゴーンです。納得できましたか?
ところが、大多数の日本の会社においては、社長が、あたかも会社を自分個人の所有物であるかのように認識しています。
だからよく聞くんですね、「オレの会社」などと云う世迷いごとを。
いくら100%個人出資で、株式の総てを個人で保有していたとしても、株式会社である以上、社員の会社でもあります。勿論、全社員と、100%オーナー社長ひとりとがようやく対等、と云う強大な力を持った状態ではありますけれど。
それを理解できないのなら、社長業などには相応しくない。出資だけしていればいい、経営に口を出す資格はありません。
そして、日本の税体系が、会社には非常に甘いです。税率のことを問題にしているのではありません。必要経費の認定において、ほぼ会社の申告の言いなりで、結果として脱税天国を作り出しています。
その結果、何が起こっているかと云えば、会社と云う法人内に利潤を溜め込むと云う現象です。それらは理由をつけて内部留保されていたり、裏金と云う形だったりします。
社長といえども収入は給料ですので、巨額の給料を貰っても巨額の税金を取られるだけです。しかし、儲けを会社にプールしたまま、必要経費と云う名の下に使い放題であれば、社長始め一部の経営陣は何のデメリットもなく贅沢三昧ができる訳です。
ほら、居るぢゃないですか。10年以上も税金を払っていないのに、ベンツを乗り回していたり、10年以上赤字の筈なのに、倒産もしないで贅沢な暮らしをしているヤツ。
特徴的なのは、そうやって黒い利潤を得ている会社は、社長個人は会社の経費で豪遊していても、社員の給料どころか必要最低限の社員を雇うことすらケチることですね。
そう、日本においては、会社は脱税放題の社長個人の金庫であり、社長個人のモラルの低さが、トップダウンで冒頭に挙げたような醜聞を行なう訳ですよ。
これこそが、日本特有の会社不祥事が起こる仕組みです。
さらに、このような会社経営の実態は、昨今目立ち始めた外資による日本企業の買収を呼び込みます。
…ここで言う「このような」とは、トップダウンによる不正体質ではなくて、会社と云う法人が利潤を溜め込む体質のことを指しています。
なぜなら、本来、その決算期毎に清算され、株主と労働者に分配されている筈の利潤が、会社にプールされているのですよ。株式を取得して大株主になれば、少なくとも、その時点で溜め込まれていた利潤の半分を要求する正当な権利を得られます。この所謂内部留保と呼ばれる金額は、かなり巨額なものがあります。
記憶に新しいところでは、ブルドックソースを巡る争いなんか、典型的なこれですね。ファンド側は、最初から、「経営する気なんて全くない」と明言していました。
日本の企業の、社長の所有物的な感覚は、こういった新たな危機をも自ら招いているのです。
繰り返しになりますが、会社組織を、社長が自分の所有物だと認識していることこそ、様々な不祥事を生む温床であり、しかも経済のグローバル化に伴い、外資による買収騒ぎを引き起こしている原因のひとつである。
経営のプロフェッショナルであるのみならず、本来の経済を正しく理解しているものが、正しく雇われ社長に納まることが、会社にとっていちばんいいことなのでしょう。
…それにしても、現職文部科学大臣の、コムスン騒ぎの際の、「福祉なんて悪いことやらなきゃ儲かる訳がない」発言はおもしろ過ぎて忘れられないなぁ…
この総てに共通している、日本独特の事情があります。
それは、会社が組織として、掛けるべき経費の類をケチり、或いは不正に過大な請求をすることにより、「会社組織が」黒い利潤を得ようとする姿勢です。
先に日本独自の事情と記述しましたが、しかし、この種の不正は世界中どこでも見られるものでしょう。
しかし、不祥事に占めるこの種の不正の割合は、先進国と呼ばれる国々の中では日本は群を抜いています。
例えば、アメリカ産の牛肉に、何時まで経っても危険部位の混入が無くならないとか。これは、会社システムの問題ではなくて、末端の作業員の無知或いは手抜きに拠るところが大きい。ところが、日本の肉の偽装は、社長自らがゴミを高値で売りつけてぼろ儲けを企んだ結果です。
宅急便システムなどでも、他国では、末端の配達員のモラルの低さから窃盗が起こるのに対して、日本の会社では、最初から無茶とも言える配達時間指定制度を導入し、労働基準法を始めとする各種法規に違反してでもドライバーに無茶をさせた挙句、そもそも会社の意思として配達事故は保証金を払えばいいと云う考え方が主流です。
このような事態を引き起こしている原因に、成熟していない、或いは非常に日本独特な会社経営のシステムがあります。
殆どの方が、日本は資本主義の国だと想っているでしょう。
しかしその実、原理的な資本主義の意味すら理解できていない人が多いように想います。しかもこれは、経済の専門家を自認する人ほど顕著な傾向にあるようです。
中学生程度の社会科で、資本主義経済の基本については学ぶはずです。そこでは、会社組織について、このように説明されているはずです。曰く、「資本家が資本を、労働者が労働力を提供し合って利潤を求めて活動する法人格」であると。
これは、本来、資本主義における大原則である筈です。ところが日本では、この大原則が通用していない。
上記した大原則を理解した時、会社とは誰のものであるのかは明白です。それは資本家と労働者のものであり、社長などと呼ばれる存在は、ただ単に会社経営の専門家として雇われた一社員に過ぎません。
過激な考え方だと想われるかもしれませんが、この考え方こそが正しいと云う証明にうってつけの人物が居ます。カルロス・ゴーンです。納得できましたか?
ところが、大多数の日本の会社においては、社長が、あたかも会社を自分個人の所有物であるかのように認識しています。
だからよく聞くんですね、「オレの会社」などと云う世迷いごとを。
いくら100%個人出資で、株式の総てを個人で保有していたとしても、株式会社である以上、社員の会社でもあります。勿論、全社員と、100%オーナー社長ひとりとがようやく対等、と云う強大な力を持った状態ではありますけれど。
それを理解できないのなら、社長業などには相応しくない。出資だけしていればいい、経営に口を出す資格はありません。
そして、日本の税体系が、会社には非常に甘いです。税率のことを問題にしているのではありません。必要経費の認定において、ほぼ会社の申告の言いなりで、結果として脱税天国を作り出しています。
その結果、何が起こっているかと云えば、会社と云う法人内に利潤を溜め込むと云う現象です。それらは理由をつけて内部留保されていたり、裏金と云う形だったりします。
社長といえども収入は給料ですので、巨額の給料を貰っても巨額の税金を取られるだけです。しかし、儲けを会社にプールしたまま、必要経費と云う名の下に使い放題であれば、社長始め一部の経営陣は何のデメリットもなく贅沢三昧ができる訳です。
ほら、居るぢゃないですか。10年以上も税金を払っていないのに、ベンツを乗り回していたり、10年以上赤字の筈なのに、倒産もしないで贅沢な暮らしをしているヤツ。
特徴的なのは、そうやって黒い利潤を得ている会社は、社長個人は会社の経費で豪遊していても、社員の給料どころか必要最低限の社員を雇うことすらケチることですね。
そう、日本においては、会社は脱税放題の社長個人の金庫であり、社長個人のモラルの低さが、トップダウンで冒頭に挙げたような醜聞を行なう訳ですよ。
これこそが、日本特有の会社不祥事が起こる仕組みです。
さらに、このような会社経営の実態は、昨今目立ち始めた外資による日本企業の買収を呼び込みます。
…ここで言う「このような」とは、トップダウンによる不正体質ではなくて、会社と云う法人が利潤を溜め込む体質のことを指しています。
なぜなら、本来、その決算期毎に清算され、株主と労働者に分配されている筈の利潤が、会社にプールされているのですよ。株式を取得して大株主になれば、少なくとも、その時点で溜め込まれていた利潤の半分を要求する正当な権利を得られます。この所謂内部留保と呼ばれる金額は、かなり巨額なものがあります。
記憶に新しいところでは、ブルドックソースを巡る争いなんか、典型的なこれですね。ファンド側は、最初から、「経営する気なんて全くない」と明言していました。
日本の企業の、社長の所有物的な感覚は、こういった新たな危機をも自ら招いているのです。
繰り返しになりますが、会社組織を、社長が自分の所有物だと認識していることこそ、様々な不祥事を生む温床であり、しかも経済のグローバル化に伴い、外資による買収騒ぎを引き起こしている原因のひとつである。
経営のプロフェッショナルであるのみならず、本来の経済を正しく理解しているものが、正しく雇われ社長に納まることが、会社にとっていちばんいいことなのでしょう。
…それにしても、現職文部科学大臣の、コムスン騒ぎの際の、「福祉なんて悪いことやらなきゃ儲かる訳がない」発言はおもしろ過ぎて忘れられないなぁ…
Freneticでfanatic
2007年6月27日 エッセイ 年金記録の問題で、非常におかしな世論が形成されつつあります。
曰く、「社会保険庁の職員がボーナスを貰っているのが許せない」「社会保険庁の職員はボーナスを返上するべきだ」と。
無責任かつ刺激的な発言が、テレヴィジョンと云うメディアでうけるのは理解できるが、さりとて一部の莫迦の浅慮な発言を、ニュース系の番組でさえ積極的に取り上げて放送している。
蒙昧な大衆はそれに簡単に流され、物事の本質も背景も理解しないまま、軽薄な世論が形成されていく。
よく考えてみて欲しい。
政治屋共が自分のボーナスの返上できる分を返上するのは、選挙を睨んだパフォーマンスでしかない。奴等は、「法律上返上できない」議員歳費で大衆からみれば巨額といえる報酬を得ており、ボーナスの一部を返上したところでその生活に全く痛痒を感じない。
しかも、勉強不足のマスコミは、政治屋共のコメントに体よく騙されている。一部のメディアの伝えるところでは、彼らの一部は「ボーナスの全額を返上」と報道した。しかし、議員歳費部分の返上は、国会議員による寄付行為に当たる為に不可能なのだ。「閣僚として受け取る部分の全額」と云う注釈付きの報道が正しいのであって、更にそれが全ボーナス額の何割に当たり、金額はいくらかを詳細に大衆に知らせてくれればいっそメディアとして立派だと想うが。
…まぁ、それをやればパフォーマンスどころか逆に反感を買うことを解かり切っている権力者側が、そんな報道をさせるとも思えないが…
一般の社会保険庁職員は、その殆どが、今無責任に「ボーナスを返上しろ」と騒いでいる大衆と同じように、何の権限も、勿論今回の事件に直接責任も持たない一般の職員でしかない。そしてその殆どが、それを返上させられたら生活に直接大きな打撃を受けるのだ。
例えば、ゼネコンなど。繰り返し繰り返し贈収賄や談合などで国民の財産たる税金を不当に損失させている奴等の、その一般職員に対して、貴様らいちどでも「ボーナスを返上して税金を弁償しろ」と主張したことがあるのか。
そしてあまりにもお粗末で卑怯で無能なのが、社会保険庁の高官共。
自分たちのボーナスの一部返上は、まぁいいだろう。一般職員に対して、ボーナスの自主返上を呼びかけているそうだが、こういった類のものが、過去に一度でも、本当に「自主」だった例はない。
確かに、自由意志によって、返上を拒否はできるだろう。しかし、組織ぐるみでこういった号令をかけた場合、必ずその拒否は記録され、それを原因とした職場内のいじめや処遇差別などが起こることは目に見えている。
現在の日本と云う、労働基準法が形骸化し尽くして職場環境が無法地帯である国で、そういったことになれば、その先どうなるのか。サラリーマンのうつ病が多発し、子どもの比ではない、そして他国に比べて非常識な程高い自殺率が総てを暗示している。
しかも、ボーナスを返上させて、どうするのか。それらは、年金に充てられる訳でもないのに。職員のモラルの低下を招き、事態をより混沌とさせるだけである。
どうにも、減点主義過ぎる日本人には、個人単位に責任を押し付けてそれを苛め抜く習性が顕著に見られて嫌なのだが、本当に必要なのは、問題の解決と再発の防止だろう。
個人にとって見れば、確かに「消えた年金」かもしれないが、確実に支払っている限り、国が「受け取った年金掛け金」は実在する。消えてはいないのだ。消えたのは、特定の個人が払ったと云う記録だけである。それらを効率よく整理することこそが、現在急務なのであって、この点に関してのみ、現政権の姿勢は正しい。
世論と云うものは、影響力のあるマスコミが刺激的な言葉を使って煽れば、とても簡単に、熱狂的、狂信的に、自分ではない反論できない立場の者を責める風潮に染まる。
以前、刑罰について述べた時にも記述したが、簡単に被害者感情に迎合する措置を取るのは、権力の在り方として、危険極まりない。
簡単に誰かを責める前に、起きている事実と原因を見極め、建設的な解決策を考えるべきである。事故や事件の総てに、100%の悪人や原因者が存在する程、世界は単純ではないのだから。
曰く、「社会保険庁の職員がボーナスを貰っているのが許せない」「社会保険庁の職員はボーナスを返上するべきだ」と。
無責任かつ刺激的な発言が、テレヴィジョンと云うメディアでうけるのは理解できるが、さりとて一部の莫迦の浅慮な発言を、ニュース系の番組でさえ積極的に取り上げて放送している。
蒙昧な大衆はそれに簡単に流され、物事の本質も背景も理解しないまま、軽薄な世論が形成されていく。
よく考えてみて欲しい。
政治屋共が自分のボーナスの返上できる分を返上するのは、選挙を睨んだパフォーマンスでしかない。奴等は、「法律上返上できない」議員歳費で大衆からみれば巨額といえる報酬を得ており、ボーナスの一部を返上したところでその生活に全く痛痒を感じない。
しかも、勉強不足のマスコミは、政治屋共のコメントに体よく騙されている。一部のメディアの伝えるところでは、彼らの一部は「ボーナスの全額を返上」と報道した。しかし、議員歳費部分の返上は、国会議員による寄付行為に当たる為に不可能なのだ。「閣僚として受け取る部分の全額」と云う注釈付きの報道が正しいのであって、更にそれが全ボーナス額の何割に当たり、金額はいくらかを詳細に大衆に知らせてくれればいっそメディアとして立派だと想うが。
…まぁ、それをやればパフォーマンスどころか逆に反感を買うことを解かり切っている権力者側が、そんな報道をさせるとも思えないが…
一般の社会保険庁職員は、その殆どが、今無責任に「ボーナスを返上しろ」と騒いでいる大衆と同じように、何の権限も、勿論今回の事件に直接責任も持たない一般の職員でしかない。そしてその殆どが、それを返上させられたら生活に直接大きな打撃を受けるのだ。
例えば、ゼネコンなど。繰り返し繰り返し贈収賄や談合などで国民の財産たる税金を不当に損失させている奴等の、その一般職員に対して、貴様らいちどでも「ボーナスを返上して税金を弁償しろ」と主張したことがあるのか。
そしてあまりにもお粗末で卑怯で無能なのが、社会保険庁の高官共。
自分たちのボーナスの一部返上は、まぁいいだろう。一般職員に対して、ボーナスの自主返上を呼びかけているそうだが、こういった類のものが、過去に一度でも、本当に「自主」だった例はない。
確かに、自由意志によって、返上を拒否はできるだろう。しかし、組織ぐるみでこういった号令をかけた場合、必ずその拒否は記録され、それを原因とした職場内のいじめや処遇差別などが起こることは目に見えている。
現在の日本と云う、労働基準法が形骸化し尽くして職場環境が無法地帯である国で、そういったことになれば、その先どうなるのか。サラリーマンのうつ病が多発し、子どもの比ではない、そして他国に比べて非常識な程高い自殺率が総てを暗示している。
しかも、ボーナスを返上させて、どうするのか。それらは、年金に充てられる訳でもないのに。職員のモラルの低下を招き、事態をより混沌とさせるだけである。
どうにも、減点主義過ぎる日本人には、個人単位に責任を押し付けてそれを苛め抜く習性が顕著に見られて嫌なのだが、本当に必要なのは、問題の解決と再発の防止だろう。
個人にとって見れば、確かに「消えた年金」かもしれないが、確実に支払っている限り、国が「受け取った年金掛け金」は実在する。消えてはいないのだ。消えたのは、特定の個人が払ったと云う記録だけである。それらを効率よく整理することこそが、現在急務なのであって、この点に関してのみ、現政権の姿勢は正しい。
世論と云うものは、影響力のあるマスコミが刺激的な言葉を使って煽れば、とても簡単に、熱狂的、狂信的に、自分ではない反論できない立場の者を責める風潮に染まる。
以前、刑罰について述べた時にも記述したが、簡単に被害者感情に迎合する措置を取るのは、権力の在り方として、危険極まりない。
簡単に誰かを責める前に、起きている事実と原因を見極め、建設的な解決策を考えるべきである。事故や事件の総てに、100%の悪人や原因者が存在する程、世界は単純ではないのだから。
無神経な言葉に対する怒りの感情
2007年6月25日 エッセイ 現在、公共交通機関で通勤している訳ですが、この3ヶ月で、非常に気になった、もしくは気に入らないことがあります。
私の居住地は名古屋市の中でも酷い田舎で、野生の雉が生息しているようなところなんですが、それでも近年住宅地として開発が進み、大変な勢いで人口が増えています。
…にも拘わらず、バスの本数は少ないまま、バスの停留所の前後100メートル以内に横断歩道が無いなど、公共の足としての機能はお粗末なものです。
都市計画の担当者が、余程の無能だったのだろうと想う程なのですが…
上記の凄惨たる状況も気に入らないのですが、それにも増して非常に気に入らないのは、バスの運転士の言葉です。
混雑時、朝のラッシュ時などにおなじみの、「もう少し詰めてください」と云うヤツ。
関東・東京圏の異常なラッシュ、これ以上は危険で不可能な程、本数を増発した上であの状況であれば、仕方ないと想う。
本数が少なくてバスを延々待たなくてはいけないような状態なのに、やっと来たバスが酷い混み様で、しかも中までぎっしり詰まっているにも拘らず、まだ乗れないでいる客が居る。そんな中で、件の台詞。
耳にする度にぷち切れる。流石に衆人環視の中で怒鳴り付ける程ブチ切れはしないけれど。
客に対して充分なサービスを提供していないくせに、その客に対して要求をするとはどういう了見なんだ。
明らかに利用客数に対して、提供するべきサービス=バスの本数が不足しているのだ。客を莫迦にした台詞を吐く前に、適正なサービスを提供するのが先だろう。
例えれば、現状は、2人前の食事を3人に提供した挙句、3人分の料金を取っている状況なのだから。
詰めろと客に対して要求する程バス内がぎっしり詰まっているのだから、当然本数を増やしても採算は取れるはずである。本来、満席の客を乗せていれば黒字になる筈であって、満席に近い利用者数があっても採算が合わないというのであれば、そもそも料金設定と経費のかけ方がおかしいのだから。
公共交通機関と云うものは、独占企業である。それだけが唯一の移動手段である客にとって、どんなに不満があっても利用せざるを得ない。
しかし、だからこそ、客の満足度に対して、充分に気を配るべきではないのか。
待たされた挙句にすし詰め状態のバスに乗せられる客が、いつまでも文句も言わないなどと甘ったれているなよ…
私の居住地は名古屋市の中でも酷い田舎で、野生の雉が生息しているようなところなんですが、それでも近年住宅地として開発が進み、大変な勢いで人口が増えています。
…にも拘わらず、バスの本数は少ないまま、バスの停留所の前後100メートル以内に横断歩道が無いなど、公共の足としての機能はお粗末なものです。
都市計画の担当者が、余程の無能だったのだろうと想う程なのですが…
上記の凄惨たる状況も気に入らないのですが、それにも増して非常に気に入らないのは、バスの運転士の言葉です。
混雑時、朝のラッシュ時などにおなじみの、「もう少し詰めてください」と云うヤツ。
関東・東京圏の異常なラッシュ、これ以上は危険で不可能な程、本数を増発した上であの状況であれば、仕方ないと想う。
本数が少なくてバスを延々待たなくてはいけないような状態なのに、やっと来たバスが酷い混み様で、しかも中までぎっしり詰まっているにも拘らず、まだ乗れないでいる客が居る。そんな中で、件の台詞。
耳にする度にぷち切れる。流石に衆人環視の中で怒鳴り付ける程ブチ切れはしないけれど。
客に対して充分なサービスを提供していないくせに、その客に対して要求をするとはどういう了見なんだ。
明らかに利用客数に対して、提供するべきサービス=バスの本数が不足しているのだ。客を莫迦にした台詞を吐く前に、適正なサービスを提供するのが先だろう。
例えれば、現状は、2人前の食事を3人に提供した挙句、3人分の料金を取っている状況なのだから。
詰めろと客に対して要求する程バス内がぎっしり詰まっているのだから、当然本数を増やしても採算は取れるはずである。本来、満席の客を乗せていれば黒字になる筈であって、満席に近い利用者数があっても採算が合わないというのであれば、そもそも料金設定と経費のかけ方がおかしいのだから。
公共交通機関と云うものは、独占企業である。それだけが唯一の移動手段である客にとって、どんなに不満があっても利用せざるを得ない。
しかし、だからこそ、客の満足度に対して、充分に気を配るべきではないのか。
待たされた挙句にすし詰め状態のバスに乗せられる客が、いつまでも文句も言わないなどと甘ったれているなよ…
欠片ほども信用できない
2007年6月16日 エッセイ 私は、結構なペースで葉巻を消費しています。
なので、海外からの通販で葉巻を買っているのですが、何と云うか、いちいち関税などを支払っても3割以上節約できるので。
で。現在発注した荷物が届くのを待っているのですが。
現在、荷物のトラックサービスが充実していて、自分の頼んだ商品が今どこにあるのか判って安心できる、そういう時代ですよね。
つい今しがた、郵政省ゆうびんサイトを確認しました…
「状態発生日:6月16日19:15」「状態:発送」「詳細:空白」「郵便局名:名古屋郵便集中」「郵便番号:469-8799」「県名等:愛知県」
以上、サイトで得られた情報。
…えーっと、今現在、6月16日の17:15なんですが…
同じ名古屋市内で、時差があるなんて私は知らなかったよ。
とりあえず、堂々と大嘘をサイトで提示されて、俺、こんな役所に対して関税とか委ねなければならないの!?
なので、海外からの通販で葉巻を買っているのですが、何と云うか、いちいち関税などを支払っても3割以上節約できるので。
で。現在発注した荷物が届くのを待っているのですが。
現在、荷物のトラックサービスが充実していて、自分の頼んだ商品が今どこにあるのか判って安心できる、そういう時代ですよね。
つい今しがた、郵政省ゆうびんサイトを確認しました…
「状態発生日:6月16日19:15」「状態:発送」「詳細:空白」「郵便局名:名古屋郵便集中」「郵便番号:469-8799」「県名等:愛知県」
以上、サイトで得られた情報。
…えーっと、今現在、6月16日の17:15なんですが…
同じ名古屋市内で、時差があるなんて私は知らなかったよ。
とりあえず、堂々と大嘘をサイトで提示されて、俺、こんな役所に対して関税とか委ねなければならないの!?
今日は、不細工なデザインの話。
とは云え、Cardではなく、Car。所謂、自動車のお話です。
車、好きですか。趣味と云う方もいらっしゃれば、ただの道具でしかないという方もいる。車に対する姿勢は千差万別、でも、それなりの愛着或いは執着を持たせる、不思議な移動ツールですね。
私は、移動手段でしかないけれど、運転することは嫌いではない、寧ろ好き、と云う程度の車好きです。
車種も年式も特に気にしません。値段と、操作性と、燃費。その程度が、車を選ぶときの基準になります。
そうそう、そろそろ、買い替えなんですよ。
ただ、私はセダンタイプ以外にはこだわりがあります。セダンタイプしか買う気がありません。
(余談ですが、これが正しい日本語ですよ。こだわりがあるとは、その物を特に気にして避けると云うのが、正しい意味です。最近使われる、特に気に入って特別な扱いをすると云う意味での用法は、誤った、美しくない日本語ですよ。)
必要性も無いのに、ワゴン、RV、ミニバン等を選ぶ気は全くありません。
まぁ、ここまででしたら、ただの私の個人的嗜好の話なんですが、ここからが、表題の不細工なデザインに繋がります。
自動車を運転する方に質問があるのですが、夜間走行中に、前後の車のライトが眩しいと感じることはありませんか? 雨天時などに、それが原因で危ないと感じたことは?
近頃、と云ってももう数年になるのですが、軽薄な流行(←偏見)として自家用車にワゴン、RV、ミニバンなどを選ぶ方が増えています。
特にこの10年程で、急増しているように感じます。そして、この間の、人気に対応する形でのこれらの車種のデザインで、ライトの位置が高くなっている、と云う現象があります。
その昔、とは云っても10年程度しか昔ではないのですが、車のヘッドライト、テールランプの高さと云うものはほぼ一定でした。これは、セダンでも、例えバスやトラックなどでもいっしょの高さでした。
理由は簡単、大型車だからといって、高い位置にライトがあれば、前後の車、対向車のドライバーの目を直接そのライトで灼くことになるからです。それは危険極まりないことです。
更に、その時代からの大型車のドライバーは、マナーとして、夜間走行時、信号待ちなどで停車した時には、ヘッドライトをスモールライトに落としていました。前に停車する車、対向車線の車に対する配慮です。
ところが、昨今の自動車デザインでは、そのデザインの段階から、他者に対する気配りが一切なされなくなり、軽薄に外見的なデザインと、その車のドライバーのみの利便性を追求した結果、視界が良くなるように運転席は高くなり、それに伴いつつこれも自らのみの視界の良好さを求めてヘッドライトの位置が高くなってきています。
そして、最近そういった車に乗るドライバーは、そんなマナーを知りもしません。路上で、自らの視点が高いということは、自分はそういった不都合には遭わないということであり、他の車のそういったライトのオン・オフにも気付けないということでもあるからです。
自動車デザイナーと云うのは、数ある工業デザイナーの中でも最高峰の存在だと、聞いたことがあります。伝聞ですので、真実かどうかは知りませんが。
その最高峰と称される工業デザイナーが、ユーザーのことは考えられても、その製品が周囲に及ぼす影響について考慮できないと云うのは、かなり憂慮される状況なのではないでしょうか。今回私が問題にしたのは、かなり単純な部類の、周囲に対する影響です。
とりあえず明言する。夜間、公道を走っているだけで周囲のドライバーに迷惑をかけるような車両のデザインは、どれだけそのシルエットとしてのスタイルが見目良くても、不細工なデザインだと。
*追伸:これらの車のオーナー諸氏を批判する気は毛頭ない。ただ、記中に例示したような時に、一寸、ライトのオン・オフに気を使っていただければ、とても嬉しく想う。
とは云え、Cardではなく、Car。所謂、自動車のお話です。
車、好きですか。趣味と云う方もいらっしゃれば、ただの道具でしかないという方もいる。車に対する姿勢は千差万別、でも、それなりの愛着或いは執着を持たせる、不思議な移動ツールですね。
私は、移動手段でしかないけれど、運転することは嫌いではない、寧ろ好き、と云う程度の車好きです。
車種も年式も特に気にしません。値段と、操作性と、燃費。その程度が、車を選ぶときの基準になります。
そうそう、そろそろ、買い替えなんですよ。
ただ、私はセダンタイプ以外にはこだわりがあります。セダンタイプしか買う気がありません。
(余談ですが、これが正しい日本語ですよ。こだわりがあるとは、その物を特に気にして避けると云うのが、正しい意味です。最近使われる、特に気に入って特別な扱いをすると云う意味での用法は、誤った、美しくない日本語ですよ。)
必要性も無いのに、ワゴン、RV、ミニバン等を選ぶ気は全くありません。
まぁ、ここまででしたら、ただの私の個人的嗜好の話なんですが、ここからが、表題の不細工なデザインに繋がります。
自動車を運転する方に質問があるのですが、夜間走行中に、前後の車のライトが眩しいと感じることはありませんか? 雨天時などに、それが原因で危ないと感じたことは?
近頃、と云ってももう数年になるのですが、軽薄な流行(←偏見)として自家用車にワゴン、RV、ミニバンなどを選ぶ方が増えています。
特にこの10年程で、急増しているように感じます。そして、この間の、人気に対応する形でのこれらの車種のデザインで、ライトの位置が高くなっている、と云う現象があります。
その昔、とは云っても10年程度しか昔ではないのですが、車のヘッドライト、テールランプの高さと云うものはほぼ一定でした。これは、セダンでも、例えバスやトラックなどでもいっしょの高さでした。
理由は簡単、大型車だからといって、高い位置にライトがあれば、前後の車、対向車のドライバーの目を直接そのライトで灼くことになるからです。それは危険極まりないことです。
更に、その時代からの大型車のドライバーは、マナーとして、夜間走行時、信号待ちなどで停車した時には、ヘッドライトをスモールライトに落としていました。前に停車する車、対向車線の車に対する配慮です。
ところが、昨今の自動車デザインでは、そのデザインの段階から、他者に対する気配りが一切なされなくなり、軽薄に外見的なデザインと、その車のドライバーのみの利便性を追求した結果、視界が良くなるように運転席は高くなり、それに伴いつつこれも自らのみの視界の良好さを求めてヘッドライトの位置が高くなってきています。
そして、最近そういった車に乗るドライバーは、そんなマナーを知りもしません。路上で、自らの視点が高いということは、自分はそういった不都合には遭わないということであり、他の車のそういったライトのオン・オフにも気付けないということでもあるからです。
自動車デザイナーと云うのは、数ある工業デザイナーの中でも最高峰の存在だと、聞いたことがあります。伝聞ですので、真実かどうかは知りませんが。
その最高峰と称される工業デザイナーが、ユーザーのことは考えられても、その製品が周囲に及ぼす影響について考慮できないと云うのは、かなり憂慮される状況なのではないでしょうか。今回私が問題にしたのは、かなり単純な部類の、周囲に対する影響です。
とりあえず明言する。夜間、公道を走っているだけで周囲のドライバーに迷惑をかけるような車両のデザインは、どれだけそのシルエットとしてのスタイルが見目良くても、不細工なデザインだと。
*追伸:これらの車のオーナー諸氏を批判する気は毛頭ない。ただ、記中に例示したような時に、一寸、ライトのオン・オフに気を使っていただければ、とても嬉しく想う。