文字のチカラ、文章のチカラ
2004年10月12日 エッセイ こうして文章を書いていると、時々、その影響力について考えることがあります。
まだまだ、私のこの文章なんて読んでくれている方のほうが少ないので、影響力なんて考慮するほどのレベルでもないのでしょうけれど。それでも、人に何かを伝えようとして文章を書く以上、考えなければならないことがあります。
昨日の日記で、「言葉使い」と云う言葉を使いました。一般的な「ことばづかい」ではありません。魔法使いのような、「ことばつかい」です。言葉を使う者のことです。10年ほど前から、この言葉を私は好んで使います。
子どもの頃からなんとなく文章を書くことが好きで、20歳になる前には文筆業に就きたいと想っていました。文章の作り方などを独学ですが勉強し、実際には機会と実力に恵まれずに、夢は未だ道半ばです。
その昔、定期的に手書きで手紙なんて書いていた頃がありました。まぁ、ワープロなんて一般のご家庭にまでは普及していなかった頃のことです。未だ或る意味幼かった私ですが、手紙に記されている言葉以上に、手書きされた文字から伝わるものを感じた覚えがあります。
見慣れた文字の崩れ具合などから、書き手の心理や、嘘や本当が見えること、ありますよね。
それから幾年か経て、パソコン通信なんてモノを趣味にしていた頃がありました。インターネット以前のシロモノです。毎日のようにキーボードを叩いては、見知らぬ人や遠くに住む友人とあれこれ交流していました。
その頃には私はもう仕事をしていて、窓口業務の中で口から出るひと言の恐ろしさをよく知っていましたので、文章にもかなり気を使っていました。喋り言葉と書き言葉は違います。これは小説家を志すなら基本中の基本です。それとともに、深く考えないで記す一編の文章が、誰かを傷付けることにならないか、そういったことを常に考えていました。
更に、ネットと云うものは、文字が手書きでない以上、文字からその心理状態を読むことができない。嘘を吐こうと思えば吐き通すことができるツールなのだろうと気付かされました。
そこに生来の性格が加わり、男でありながら一人称を私として、できるだけ丁寧な言葉で、でも自分の意見は100%伝える、今の文章のスタイルを作ってきました。
そんな中で、無駄に飾りすぎると、丁寧を通り越して文章は説得力を失うこと、喋り言葉と書き言葉の区別などの最低限の文章の基本を守らなければ、その文章は人を傷付け過ぎることがあること、そんなことを学んできたような気がしています。
そして、最初から架空の文章だと想っているものは別ですが、日記や自伝などでも、どうにも嘘くさい文章と云うものは存在しますよね。或いは、例えば、よく知っている人間のBLOGを読むとき、その文章の書き方で直感的に嘘がわかるようなこと、ありますよね。文章には、書かれたこと意外を伝える不思議な力があるように、私は想うのです。
私は、私と云う人間の実像が伝わるような文章を書きたいと想っていますし、その努力をしているつもりです。
私が自分の頭で考えたこと、想っていることを、そんなことを想う私自身の人格も含めて発信するために、文章を書きたいです。そして、それが可能な能力、或いはその能力を持つ人のことを、「言葉使い」と勝手に定義しているのです…
まだまだ、私のこの文章なんて読んでくれている方のほうが少ないので、影響力なんて考慮するほどのレベルでもないのでしょうけれど。それでも、人に何かを伝えようとして文章を書く以上、考えなければならないことがあります。
昨日の日記で、「言葉使い」と云う言葉を使いました。一般的な「ことばづかい」ではありません。魔法使いのような、「ことばつかい」です。言葉を使う者のことです。10年ほど前から、この言葉を私は好んで使います。
子どもの頃からなんとなく文章を書くことが好きで、20歳になる前には文筆業に就きたいと想っていました。文章の作り方などを独学ですが勉強し、実際には機会と実力に恵まれずに、夢は未だ道半ばです。
その昔、定期的に手書きで手紙なんて書いていた頃がありました。まぁ、ワープロなんて一般のご家庭にまでは普及していなかった頃のことです。未だ或る意味幼かった私ですが、手紙に記されている言葉以上に、手書きされた文字から伝わるものを感じた覚えがあります。
見慣れた文字の崩れ具合などから、書き手の心理や、嘘や本当が見えること、ありますよね。
それから幾年か経て、パソコン通信なんてモノを趣味にしていた頃がありました。インターネット以前のシロモノです。毎日のようにキーボードを叩いては、見知らぬ人や遠くに住む友人とあれこれ交流していました。
その頃には私はもう仕事をしていて、窓口業務の中で口から出るひと言の恐ろしさをよく知っていましたので、文章にもかなり気を使っていました。喋り言葉と書き言葉は違います。これは小説家を志すなら基本中の基本です。それとともに、深く考えないで記す一編の文章が、誰かを傷付けることにならないか、そういったことを常に考えていました。
更に、ネットと云うものは、文字が手書きでない以上、文字からその心理状態を読むことができない。嘘を吐こうと思えば吐き通すことができるツールなのだろうと気付かされました。
そこに生来の性格が加わり、男でありながら一人称を私として、できるだけ丁寧な言葉で、でも自分の意見は100%伝える、今の文章のスタイルを作ってきました。
そんな中で、無駄に飾りすぎると、丁寧を通り越して文章は説得力を失うこと、喋り言葉と書き言葉の区別などの最低限の文章の基本を守らなければ、その文章は人を傷付け過ぎることがあること、そんなことを学んできたような気がしています。
そして、最初から架空の文章だと想っているものは別ですが、日記や自伝などでも、どうにも嘘くさい文章と云うものは存在しますよね。或いは、例えば、よく知っている人間のBLOGを読むとき、その文章の書き方で直感的に嘘がわかるようなこと、ありますよね。文章には、書かれたこと意外を伝える不思議な力があるように、私は想うのです。
私は、私と云う人間の実像が伝わるような文章を書きたいと想っていますし、その努力をしているつもりです。
私が自分の頭で考えたこと、想っていることを、そんなことを想う私自身の人格も含めて発信するために、文章を書きたいです。そして、それが可能な能力、或いはその能力を持つ人のことを、「言葉使い」と勝手に定義しているのです…
なんだか、自分で思っているよりも疲れているみたい。
なかなか自分で納得できるような文章が書けないんですよ。
つい先程、なんとか10月9日の日記をアップしたばかりなのですが、その文章も全然、不満。で、10日の日記は書くのを諦めたところです。
それでもこうやってキーを叩いているのは、ひとつだけ、書いておきたいと想ったことがあったから。
今日の夜7時のNHKニュースの中で、イチローへのインタビューがありました。ここ数年のイチローは、なんだか私はその言動を「偉そう」に感じるものがあって、あまり好きではなかったのですが。今日は、とても素晴らしい、そして大切なことを語ってくれました。
「子どもたちへ」と云うことで、彼が語った言葉は次のようなものでした。
「子どもたちが僕たちに憧れて、僕たちのようになりたいと想うことはとても純粋。周りの大人たちが、自分たちの価値観でそれを潰してしまう」と云うような趣旨のことを、かつて自分がプロ入りする際に親類などに反対されたことを例に挙げて語りました。
勿論、それだけを語ったわけではありません。いろんなことをインタビューの中で語ったのですが、今日は、私は、これを特に取り上げたいのです。
子どもたちの夢や憧れは、それはそれは大変なパワーを持っています。そして、純粋です。只、子どもたちには自分の環境を作ることができません。ですから、大人が、特に親が率先してその夢を支えてあげなければいけません。でも、「あんなプロの世界で活躍できるのはごく一部の例外だから」などど言って、大人がその夢を潰してしまうこと、多いですよね。実際にそんな言葉を吐かなくても、その環境を大人が整えてあげなければ、子どもは夢を叶えるスタート地点にすら立てません。例えば、野球選手に憧れる子どもに、グローブやバットなどを買い与えてあげなければ、たったそれだけでその子の野球選手への夢は絶たれてしまいます。漫画家に憧れる子どもに、「遊んでないで勉強しなさい」などと迫れば、それだけでその子の夢へ向かう気力すら削ぎます。
誰もが、そんな思いをしたこと、いちどぐらいはありませんか。私にはありますよ、自分の親に夢を潰されたこと。
前々から、不思議に想っていたことがあります。日本の親の多くが、自分の子どもに高学歴を望み、その果てに大企業への就職を望んでいるようではありませんか。何故、自分の子どもを、大企業とはいえ所詮はサラリーマン、人に使用される人間にさせたいのか、私には理解できないのです。
今は障害者福祉の仕事をしている私ですが、数年前までは児童館で働いていました。子どもが大好きで、今日イチローが語ってくれたようなことを、いつも考えていました。だからこそ、彼のように特別に影響力のある人間がテレビと云う影響力の強いメディアで語ってくれたことを、とても嬉しく想います。
私はいろんなことをテーマにエッセイをここに書きたいです。もう大人になった私は、自分が夢を叶える環境を自分で整えることができるので。で、大人になった私の今の夢。それは、言葉使いです。魔法使いが、魔法を使っていろんなことをするように、私は言葉を使っていろんなことをしたい。言葉と云う、他者に影響を与えられる道具で、自分の考えを伝えたり、問題提起をしたり、そういった形で、人に想いを伝えたい。そう想っています。
なかなか自分で納得できるような文章が書けないんですよ。
つい先程、なんとか10月9日の日記をアップしたばかりなのですが、その文章も全然、不満。で、10日の日記は書くのを諦めたところです。
それでもこうやってキーを叩いているのは、ひとつだけ、書いておきたいと想ったことがあったから。
今日の夜7時のNHKニュースの中で、イチローへのインタビューがありました。ここ数年のイチローは、なんだか私はその言動を「偉そう」に感じるものがあって、あまり好きではなかったのですが。今日は、とても素晴らしい、そして大切なことを語ってくれました。
「子どもたちへ」と云うことで、彼が語った言葉は次のようなものでした。
「子どもたちが僕たちに憧れて、僕たちのようになりたいと想うことはとても純粋。周りの大人たちが、自分たちの価値観でそれを潰してしまう」と云うような趣旨のことを、かつて自分がプロ入りする際に親類などに反対されたことを例に挙げて語りました。
勿論、それだけを語ったわけではありません。いろんなことをインタビューの中で語ったのですが、今日は、私は、これを特に取り上げたいのです。
子どもたちの夢や憧れは、それはそれは大変なパワーを持っています。そして、純粋です。只、子どもたちには自分の環境を作ることができません。ですから、大人が、特に親が率先してその夢を支えてあげなければいけません。でも、「あんなプロの世界で活躍できるのはごく一部の例外だから」などど言って、大人がその夢を潰してしまうこと、多いですよね。実際にそんな言葉を吐かなくても、その環境を大人が整えてあげなければ、子どもは夢を叶えるスタート地点にすら立てません。例えば、野球選手に憧れる子どもに、グローブやバットなどを買い与えてあげなければ、たったそれだけでその子の野球選手への夢は絶たれてしまいます。漫画家に憧れる子どもに、「遊んでないで勉強しなさい」などと迫れば、それだけでその子の夢へ向かう気力すら削ぎます。
誰もが、そんな思いをしたこと、いちどぐらいはありませんか。私にはありますよ、自分の親に夢を潰されたこと。
前々から、不思議に想っていたことがあります。日本の親の多くが、自分の子どもに高学歴を望み、その果てに大企業への就職を望んでいるようではありませんか。何故、自分の子どもを、大企業とはいえ所詮はサラリーマン、人に使用される人間にさせたいのか、私には理解できないのです。
今は障害者福祉の仕事をしている私ですが、数年前までは児童館で働いていました。子どもが大好きで、今日イチローが語ってくれたようなことを、いつも考えていました。だからこそ、彼のように特別に影響力のある人間がテレビと云う影響力の強いメディアで語ってくれたことを、とても嬉しく想います。
私はいろんなことをテーマにエッセイをここに書きたいです。もう大人になった私は、自分が夢を叶える環境を自分で整えることができるので。で、大人になった私の今の夢。それは、言葉使いです。魔法使いが、魔法を使っていろんなことをするように、私は言葉を使っていろんなことをしたい。言葉と云う、他者に影響を与えられる道具で、自分の考えを伝えたり、問題提起をしたり、そういった形で、人に想いを伝えたい。そう想っています。
最近つくづく想い返せば、私には嫌いなものがたくさんある。その中でも最高クラスに存在を許せないものを、ちょっとばかり斬ってみたい。
テレビなどでよくやっている、占いと云うヤツである。
最近ネットで流行の、完全にお遊びのヤツはいいのですよ。あれはああいったユーモアなので。
テレビやラジオなどで朝などによくやっている、星座占いのような類のものが、大嫌いでしょうがない。と云うより、許せない。
公共の電波で、よくもまぁ根拠もない嘘八百をべらべらと垂れ流せるものだと、恐れ入ることしきり。しかも、平気で特定の行動や物を奨められる神経には、本当に参ったと言うより他ない。しかも、断言しちゃうんだぜ!?
例えば、「今日は、てんびん座の貴方は運勢最悪。スパゲティを食べれば、最悪な事態は避けられます」とか。
上で例に挙げたものは、一言一句そのままと云う訳ではないが、実際にテレビで断言された事柄です。「スパゲティ」とか断言しちゃうんだぜ、信じられない。
ちょっと想い出して欲しい。特にバブル全盛期、世間の極一部で流行した詐欺がありませんでしたか?
「貴方、先祖の因縁によって運勢が最悪ですね。このままでは身内に不幸が訪れますよ。この壷を買えば過去の因縁を清算できますよ」とか言って、胡散臭い自称霊能師が壷や印鑑を非常識な値段で売りつけると云うヤツです。
今の占いって、これとそっくりぢゃないですか。事実無根の在りもしない不安を煽って、スポンサーの商品を消費させようとするようなら、それって裁判所で正式に悪質な詐欺と認定された行為と、どこが違うのでしょうか。
きっと、占いなんて信じる信じないは個人の自由だと思って、深く考えずにコーナーを運営しているのでしょう。所詮占いだから、とか思って、遊び半分なのだと想います。でもね、よく考えてみて欲しい。断言している時点で、信じるかどうか個人の自由だと主張できる範囲を超えますよね。そして、アドバイスと称して、「対人関係に気をつけて」とか、「早めに行動したほうが吉」程度ならいいですよ。特定の商品やサービスを奨め始めたら、それは立派な詐欺行為になるのです。
占い師は予言者ではないです。ですから、時間的に未来のことを断言してしまう自称占い師は詐欺師です。
本来の占いと云うものは、占い師と対面して、話しをしながら進めるものです。そして、その話しの中から、客の心理状態を読み、本当に悩んでいることやその人が無意識に持っているその人自身の希望などを見つけ出してアドバイスする、相談のプロが占い師なんです。
或いは、手相占い、面相占いなど、脈々と受け継がれてきた綿密な統計の上に則ったものが占いなんです。
総てのメディア上の占いがそうだとは言わない。でも、明らかに「詐欺」の範疇に当たるような占いが、あふれているように想えるのです。
テレビなどでよくやっている、占いと云うヤツである。
最近ネットで流行の、完全にお遊びのヤツはいいのですよ。あれはああいったユーモアなので。
テレビやラジオなどで朝などによくやっている、星座占いのような類のものが、大嫌いでしょうがない。と云うより、許せない。
公共の電波で、よくもまぁ根拠もない嘘八百をべらべらと垂れ流せるものだと、恐れ入ることしきり。しかも、平気で特定の行動や物を奨められる神経には、本当に参ったと言うより他ない。しかも、断言しちゃうんだぜ!?
例えば、「今日は、てんびん座の貴方は運勢最悪。スパゲティを食べれば、最悪な事態は避けられます」とか。
上で例に挙げたものは、一言一句そのままと云う訳ではないが、実際にテレビで断言された事柄です。「スパゲティ」とか断言しちゃうんだぜ、信じられない。
ちょっと想い出して欲しい。特にバブル全盛期、世間の極一部で流行した詐欺がありませんでしたか?
「貴方、先祖の因縁によって運勢が最悪ですね。このままでは身内に不幸が訪れますよ。この壷を買えば過去の因縁を清算できますよ」とか言って、胡散臭い自称霊能師が壷や印鑑を非常識な値段で売りつけると云うヤツです。
今の占いって、これとそっくりぢゃないですか。事実無根の在りもしない不安を煽って、スポンサーの商品を消費させようとするようなら、それって裁判所で正式に悪質な詐欺と認定された行為と、どこが違うのでしょうか。
きっと、占いなんて信じる信じないは個人の自由だと思って、深く考えずにコーナーを運営しているのでしょう。所詮占いだから、とか思って、遊び半分なのだと想います。でもね、よく考えてみて欲しい。断言している時点で、信じるかどうか個人の自由だと主張できる範囲を超えますよね。そして、アドバイスと称して、「対人関係に気をつけて」とか、「早めに行動したほうが吉」程度ならいいですよ。特定の商品やサービスを奨め始めたら、それは立派な詐欺行為になるのです。
占い師は予言者ではないです。ですから、時間的に未来のことを断言してしまう自称占い師は詐欺師です。
本来の占いと云うものは、占い師と対面して、話しをしながら進めるものです。そして、その話しの中から、客の心理状態を読み、本当に悩んでいることやその人が無意識に持っているその人自身の希望などを見つけ出してアドバイスする、相談のプロが占い師なんです。
或いは、手相占い、面相占いなど、脈々と受け継がれてきた綿密な統計の上に則ったものが占いなんです。
総てのメディア上の占いがそうだとは言わない。でも、明らかに「詐欺」の範疇に当たるような占いが、あふれているように想えるのです。
郵政民営化について考える
2004年9月29日 エッセイ さぁ、謎なタイトルが記されました。誰がついてくるんだろう、こんなネタ。
とりあえず、ギャグではありません。改造内閣の目玉と言うか唯一の目的であるらしい、郵政民営化について、想っていることをつらつらと書いてみます。
さて、賛否両論あるこのお題ですが、ぶっちゃけていうと、ぶっちゃけすぎという話もありますが、民営化しなくてはなりません。問題は、その後に発生するドロドロとしたごたごたの方です。
何故、民営化しなければいけないのか。答えは簡単。保険と貯金を持っているからです。以上。
「以上」では、あまりと言えばあまりなので、多少解説。保険も貯金も、資本主義社会の根幹を形成する、資本たり得る規模の金を扱う業種、業務です。しかも、余程の無能が経営しない限り必ず黒字を出せる業種です。だからこそ、官でやる必要は欠片もない。改めて、以上。
そこで問題になるのが、本業であるはずの郵便です。郵便のみ国営でと云う選択肢はないのか。そんな疑問は当然発生すると思いますが、これも回答としては、「そんな選択肢はありません」です。
何故か。この問題の根の深さは、昔の無能な政治屋が宅急便という業務形態を民間に認めてしまったところに端を発します。
ローソンを間に挟んで、郵政公社と黒猫大和が泥仕合を展開しそうな勢いですが、そもそも黒猫等民間の宅急便業者に異論を唱える権利はありません。
日本全国どこへでも、葉書なら50円、通常の封書なら80円で届けるという所謂普通の手紙配達では、当然のことながら利益が出る訳がありません。それを、小包を取り扱うことで発生する利潤で何とかしていたのが郵便事業です。そこに目を着けた民間業者が、そんなことも理解できない無能な政治屋を篭絡して、利益が上がる部門だけ簒奪したのが宅急便という業界です。
選択肢としては、ぢつはいくつかあります。
1)郵便と同じ金額以下での葉書、手紙の取り扱いを民間業者に義務付ける。
2)民営化した上で、合法的なあらゆる手段を用いて民間業者に奪われた小荷物のシェアを奪い返す。
3)葉書、手紙を地域別料金表を作って値上げする。
4)税金投入。
郵政事業を総合的に判断して、問題を解決しようと思ったら、現実的には民営化が、採用できる唯一の選択肢でしょう。2番目の選択肢ですね。
与党ですら揉めているのは、実にキタナい利権が絡んでいるからに他なりません。
民営化した後、保険、貯金はそれこそ生命保険各社、銀行との競争になるでしょう。いろいろとキクニタエナイ醜い争いごとが起こることが予想されます。まぁ、この業種の醜い争いごとは、あまり表面化しない、表面化したときにはとんでもない大事であることが殆どですから、ある意味楽しみですらあります。
郵便事業と宅急便業界は、もう泥仕合が始まりつつあります。この問題の解決に当たる人間が、中・長期的な社会全般に与えられる影響を的確に読み取って物事を判断してくれることを、切に望みます。
とりあえず、ギャグではありません。改造内閣の目玉と言うか唯一の目的であるらしい、郵政民営化について、想っていることをつらつらと書いてみます。
さて、賛否両論あるこのお題ですが、ぶっちゃけていうと、ぶっちゃけすぎという話もありますが、民営化しなくてはなりません。問題は、その後に発生するドロドロとしたごたごたの方です。
何故、民営化しなければいけないのか。答えは簡単。保険と貯金を持っているからです。以上。
「以上」では、あまりと言えばあまりなので、多少解説。保険も貯金も、資本主義社会の根幹を形成する、資本たり得る規模の金を扱う業種、業務です。しかも、余程の無能が経営しない限り必ず黒字を出せる業種です。だからこそ、官でやる必要は欠片もない。改めて、以上。
そこで問題になるのが、本業であるはずの郵便です。郵便のみ国営でと云う選択肢はないのか。そんな疑問は当然発生すると思いますが、これも回答としては、「そんな選択肢はありません」です。
何故か。この問題の根の深さは、昔の無能な政治屋が宅急便という業務形態を民間に認めてしまったところに端を発します。
ローソンを間に挟んで、郵政公社と黒猫大和が泥仕合を展開しそうな勢いですが、そもそも黒猫等民間の宅急便業者に異論を唱える権利はありません。
日本全国どこへでも、葉書なら50円、通常の封書なら80円で届けるという所謂普通の手紙配達では、当然のことながら利益が出る訳がありません。それを、小包を取り扱うことで発生する利潤で何とかしていたのが郵便事業です。そこに目を着けた民間業者が、そんなことも理解できない無能な政治屋を篭絡して、利益が上がる部門だけ簒奪したのが宅急便という業界です。
選択肢としては、ぢつはいくつかあります。
1)郵便と同じ金額以下での葉書、手紙の取り扱いを民間業者に義務付ける。
2)民営化した上で、合法的なあらゆる手段を用いて民間業者に奪われた小荷物のシェアを奪い返す。
3)葉書、手紙を地域別料金表を作って値上げする。
4)税金投入。
郵政事業を総合的に判断して、問題を解決しようと思ったら、現実的には民営化が、採用できる唯一の選択肢でしょう。2番目の選択肢ですね。
与党ですら揉めているのは、実にキタナい利権が絡んでいるからに他なりません。
民営化した後、保険、貯金はそれこそ生命保険各社、銀行との競争になるでしょう。いろいろとキクニタエナイ醜い争いごとが起こることが予想されます。まぁ、この業種の醜い争いごとは、あまり表面化しない、表面化したときにはとんでもない大事であることが殆どですから、ある意味楽しみですらあります。
郵便事業と宅急便業界は、もう泥仕合が始まりつつあります。この問題の解決に当たる人間が、中・長期的な社会全般に与えられる影響を的確に読み取って物事を判断してくれることを、切に望みます。
3年間で進歩しない人たちも居る
2004年9月13日 エッセイ mistuhero様、リンクありがとうございます。表彰の後にタイプ1宣伝させていただいたのが私、WaterForestです。今後とも、よろしくお願いします。
って、冒頭は挨拶と決めていますので、タイトルとは関係ありません。タイトルに関係するのは、これからです。
今年も9月11日が過ぎました。平和に遊んでいるうちに過ぎていました。USAではイベント盛りだくさんだったようです。みんな、平和とか、遺族の気持ちなんかよりも、政治的に利用するほうが大切だったのですね。
とある犠牲者追悼イベントで、白人男性がたわけたことを口走っているのをテレビで見て、瞬間的に怒りを感じたWaterForestでした。それがきっかけで、これを書くつもりになったり、しています。
彼曰く、「この日は世界中の人がこの地を訪れるべきだ」だそうです。莫迦ぢゃないの?
あんなの、只単にUSAが決定的に憎まれただけのことであって、この世界に対してはなんの影響も無かったはずの出来事ぢゃないか。
そう、世界中の人が何か勘違いしているようなのだが、「USA」が憎まれているだけのことであって、決して「自由に対する挑戦」だとか、「イスラム過激派vs自由社会」などではありません。
だいたい、USAが憎まれることは当然のことです。まるで我侭な子ども並みに身勝手で、無慈悲で、傲慢。大好きな、仲の良い、或いは尊敬するアメリカ人も多いのですが、彼等を含めて多くのアメリカ人は、無知な故に。特にイスラム系を中心に多くの敵を作っています。
国際的な取り決め、協力関係などの総てにUSAの国益(=大統領の次回選挙での得票)が優先すると言って憚らない態度。そして特にパレスチナ問題を中心とする身勝手なダブルスタンダード。自分たちは核実験だろうが好き勝手やっている癖して、他国が生産準備に入るだけで現実的な暴力を伴う圧力を平気でかける不公平さ。自由と平等が、鼻先3センチで笑い飛ばせるぜ。
最初に、あの同時多発テロの首謀者がアルカイダだったなんていうUSAの公式発表を裏付ける明確な証拠を、世界は示されていません。イラク戦争もそうです。無茶なインネンつけて、やりたい放題やって、で、その証拠とされた殆どが恥ずべき或いは唾棄すべき捏造だったことが、だんだん明らかにされてきています。こんな調子で、決定的に救われない人たちを、憎悪の中でテロリストにさせてしまっているのは、100%USA自身の責任です。
次に、テロリストは絶対に許せないと言うのなら。パレスチナに対するイスラエルの行為こそ、テロそのものぢゃないのか。政府が堂々と行えばテロぢゃないなんて、そんな詭弁は通用しないぜ。だいたい、イラクの政府が堂々と行ったことを傲慢にも裁いたくせに。まぁ、ことユダヤ人に関する限り、世界中どこにも言論の自由が無いらしいので、これ以上は文面としては触れたくないのですが。私のユダヤ人嫌いの話を聞きたい人は、直接お話しましょうね。
テロを完全に防ぎたいのなら、それはとても簡単なことです。テロに走るほどに追い詰められる敵を作らなければいいのです。たったそれだけのことです。
日本だって、西洋諸国だって、USA程憎まれていないし、国際テロ組織なんていう怪しげな組織に狙われてはいないでしょう。西洋諸国の中には、国内情勢によって、国内にテロ組織を持っている場合はありますが、それは内政の問題ですから。
特に日本の在り様は象徴的です。示唆的ですらあります。国際テロ組織なんてものには見向きもされていなかったのに、小泉なんていうお莫迦の大将が国際的にお莫迦な行動を採るものだから。テロ対象に名指しされたり、日本人を人質にされたりするんです。これらは100%、外交上の失政が招いた事象です。
国際化が進んだ現在、国政のうち最重要なのは外交です。テロなんてものは基本的には100%外交で防ぐことが可能です。故に日本は憲法第9条を作ったのです。外交上の失政を贖う最後の代償が戦争なんです。
嗚呼、また過激なことを書いて。ウィルスメールがたくさん来るんだろうなぁ。まぁ、批判でも非難でも、或いは自分の意見でも、前向きな反応があれば嬉しいのだけれど。
って、冒頭は挨拶と決めていますので、タイトルとは関係ありません。タイトルに関係するのは、これからです。
今年も9月11日が過ぎました。平和に遊んでいるうちに過ぎていました。USAではイベント盛りだくさんだったようです。みんな、平和とか、遺族の気持ちなんかよりも、政治的に利用するほうが大切だったのですね。
とある犠牲者追悼イベントで、白人男性がたわけたことを口走っているのをテレビで見て、瞬間的に怒りを感じたWaterForestでした。それがきっかけで、これを書くつもりになったり、しています。
彼曰く、「この日は世界中の人がこの地を訪れるべきだ」だそうです。莫迦ぢゃないの?
あんなの、只単にUSAが決定的に憎まれただけのことであって、この世界に対してはなんの影響も無かったはずの出来事ぢゃないか。
そう、世界中の人が何か勘違いしているようなのだが、「USA」が憎まれているだけのことであって、決して「自由に対する挑戦」だとか、「イスラム過激派vs自由社会」などではありません。
だいたい、USAが憎まれることは当然のことです。まるで我侭な子ども並みに身勝手で、無慈悲で、傲慢。大好きな、仲の良い、或いは尊敬するアメリカ人も多いのですが、彼等を含めて多くのアメリカ人は、無知な故に。特にイスラム系を中心に多くの敵を作っています。
国際的な取り決め、協力関係などの総てにUSAの国益(=大統領の次回選挙での得票)が優先すると言って憚らない態度。そして特にパレスチナ問題を中心とする身勝手なダブルスタンダード。自分たちは核実験だろうが好き勝手やっている癖して、他国が生産準備に入るだけで現実的な暴力を伴う圧力を平気でかける不公平さ。自由と平等が、鼻先3センチで笑い飛ばせるぜ。
最初に、あの同時多発テロの首謀者がアルカイダだったなんていうUSAの公式発表を裏付ける明確な証拠を、世界は示されていません。イラク戦争もそうです。無茶なインネンつけて、やりたい放題やって、で、その証拠とされた殆どが恥ずべき或いは唾棄すべき捏造だったことが、だんだん明らかにされてきています。こんな調子で、決定的に救われない人たちを、憎悪の中でテロリストにさせてしまっているのは、100%USA自身の責任です。
次に、テロリストは絶対に許せないと言うのなら。パレスチナに対するイスラエルの行為こそ、テロそのものぢゃないのか。政府が堂々と行えばテロぢゃないなんて、そんな詭弁は通用しないぜ。だいたい、イラクの政府が堂々と行ったことを傲慢にも裁いたくせに。まぁ、ことユダヤ人に関する限り、世界中どこにも言論の自由が無いらしいので、これ以上は文面としては触れたくないのですが。私のユダヤ人嫌いの話を聞きたい人は、直接お話しましょうね。
テロを完全に防ぎたいのなら、それはとても簡単なことです。テロに走るほどに追い詰められる敵を作らなければいいのです。たったそれだけのことです。
日本だって、西洋諸国だって、USA程憎まれていないし、国際テロ組織なんていう怪しげな組織に狙われてはいないでしょう。西洋諸国の中には、国内情勢によって、国内にテロ組織を持っている場合はありますが、それは内政の問題ですから。
特に日本の在り様は象徴的です。示唆的ですらあります。国際テロ組織なんてものには見向きもされていなかったのに、小泉なんていうお莫迦の大将が国際的にお莫迦な行動を採るものだから。テロ対象に名指しされたり、日本人を人質にされたりするんです。これらは100%、外交上の失政が招いた事象です。
国際化が進んだ現在、国政のうち最重要なのは外交です。テロなんてものは基本的には100%外交で防ぐことが可能です。故に日本は憲法第9条を作ったのです。外交上の失政を贖う最後の代償が戦争なんです。
嗚呼、また過激なことを書いて。ウィルスメールがたくさん来るんだろうなぁ。まぁ、批判でも非難でも、或いは自分の意見でも、前向きな反応があれば嬉しいのだけれど。
team Iety副官様、リンクありがとうございます。
この日記のタイトル欄にメアドを記してから、毎日、複数通のウィルスメールが届けられています。
非常に嫌ですね。
他の、メアドを公開している皆様も、同様にウィルスメールには悩まされているのでしょうか。まぁ、悩むと言っても、今の世の中、殆どの方はウィルス対策をされていらっしゃると想われますし、自分もそうですので、只鬱陶しいだけではあるとも想うのですが。
えっと、まだ短い期間ではありますが、私の日記を読んでくださっている方は解ってらっしゃることと想います。
私はこの場を、唯単にMTGの与太話を書くだけの場にするつもりはありません。自分の想ったこと、主張したいこと、そんな自分の頭で考えたことを自分の言葉で「囁く」ために使うつもりですし、そういったコラム的な文章も書いています。
ですから、そういった文章を書く自分の責任として、批判や非難を受け付ける必要があると考え、メアドを公開しました。当然、私とは違う意見や主張を持った方はいらっしゃる筈で。そういった方に対し、私のこの日記が「一方的な言い逃げ」になってはいけない、自分の考えを晒す以上、他者の意見を聞かなければいけないこれは義務だと、想ったのです。
しかし、メアド公開から未だ数日ですが、期待したような批判、非難は一通も来ず、毎日ウィルスメールが届けられるだけ。失望と云うのか、絶望と云うべきか、なんとも気分が宜しくない。
えっと、批判、非難やそれ以外でもここ数日私にメールを出したけれども返事が来ていないと言う方、もしいらっしゃるのなら、ウィルス駆除をした上でもう一度メールをお願いします。真摯なメールであれば、私は絶対に無視はしません。必ずお返事か、個々に返事をし切れない状況であればこの場で必ず対応をします。
気に入らないと云う理由、或いは悪戯でウィルスメールを送りつけた方々へ。言いたい事があるならば自分の頭で考えた自分の言葉ではっきりと示せ。こんな後ろ向きで陰湿な行為は、自分の価値を低下させ、相手の軽蔑、侮蔑を買うだけだ。
どうやら私は、それなりに怒っているらしいです。
この日記のタイトル欄にメアドを記してから、毎日、複数通のウィルスメールが届けられています。
非常に嫌ですね。
他の、メアドを公開している皆様も、同様にウィルスメールには悩まされているのでしょうか。まぁ、悩むと言っても、今の世の中、殆どの方はウィルス対策をされていらっしゃると想われますし、自分もそうですので、只鬱陶しいだけではあるとも想うのですが。
えっと、まだ短い期間ではありますが、私の日記を読んでくださっている方は解ってらっしゃることと想います。
私はこの場を、唯単にMTGの与太話を書くだけの場にするつもりはありません。自分の想ったこと、主張したいこと、そんな自分の頭で考えたことを自分の言葉で「囁く」ために使うつもりですし、そういったコラム的な文章も書いています。
ですから、そういった文章を書く自分の責任として、批判や非難を受け付ける必要があると考え、メアドを公開しました。当然、私とは違う意見や主張を持った方はいらっしゃる筈で。そういった方に対し、私のこの日記が「一方的な言い逃げ」になってはいけない、自分の考えを晒す以上、他者の意見を聞かなければいけないこれは義務だと、想ったのです。
しかし、メアド公開から未だ数日ですが、期待したような批判、非難は一通も来ず、毎日ウィルスメールが届けられるだけ。失望と云うのか、絶望と云うべきか、なんとも気分が宜しくない。
えっと、批判、非難やそれ以外でもここ数日私にメールを出したけれども返事が来ていないと言う方、もしいらっしゃるのなら、ウィルス駆除をした上でもう一度メールをお願いします。真摯なメールであれば、私は絶対に無視はしません。必ずお返事か、個々に返事をし切れない状況であればこの場で必ず対応をします。
気に入らないと云う理由、或いは悪戯でウィルスメールを送りつけた方々へ。言いたい事があるならば自分の頭で考えた自分の言葉ではっきりと示せ。こんな後ろ向きで陰湿な行為は、自分の価値を低下させ、相手の軽蔑、侮蔑を買うだけだ。
どうやら私は、それなりに怒っているらしいです。
過日のエッセイにも関連するけれど
2004年8月16日 エッセイ 実はこれを書いているのは17日になってからなんですが、細かいことは大目に見てくださいな。
先日日本で墜落した米軍のヘリコプターなんですが、結局、事故の現場検証すらできないまま米軍によって勝手に撤去されてしまったそうですね。
いつものことのように、これで責任を明確にする、追求することは事実上不可能になってしまいました。
これについて、日本政府の態度は如何なものでしょう?
先日の、実に些細な、中国でのサッカーの試合については政治屋共がやいのやいの騒いでいたくせに、今回の件では日本の正当な主権等を一切公的に主張していないってのは、何と言う素晴らしいバランス感覚なのかしら。
どちらの方が、重要な事象なのか、誰にだって解かりそうなものですよね。
これだから、中国人だって、「莫迦にしている」としか感じませんよ。
まぁ、でも、今回の本題はここから。
あの邪魔にしかなっていない駐留米軍、一瞬でも早く消え去ってくれないかなぁ。
大体、奴等が日本にいるのは、米国の利権のためだけであって、欠片ほども、日本のためではありません。これは彼等自身が明言していることです。そして、過去に竹下とか言うお莫迦の大将が「思いやり予算」などとトチ狂って奴等の駐留経費を日本の予算で一部負担するようになって幾年。不況、財政難の現在でさえこの予算は存在しています。
そして、事実。奴等が日本に駐留し始めて、日本で。いちどとして、日米安保条約とやらに基づいて奴等の戦力が日本人を護ったことはありません。日本で日本人の敵を殺した数、0です。そしてその間、特に沖縄などでその米軍に殺された日本人が幾百人と居ます。
結論。奴等は日本人の予算で日本人を殺すために日本に駐留しています。いや、これは確かに主目的ではなくて副目的だけど。
日記に、アジアカップでのことをやいのやいの書いていた人たちも、今回のヘリ墜落について何も書いていないのは何故?
スタジアムでブーイングぐらい、或いはヒートしたフーリガンが暴れるぐらい、サッカーではどうってことないでしょう?
なのに何故、国内を平然と他国の軍用機が飛び回っていて、あまつさえ墜落までしやがって、その調査も責任を問うことさえできないことって、許せないとか、想わないの?
とりあえずここは「愚者の囁き」だけれど、自分の頭で考えて自分の価値観で判断しているつもりです。
意見も批判も、建設的なものだったら、大いに考えて欲しいな。
先日日本で墜落した米軍のヘリコプターなんですが、結局、事故の現場検証すらできないまま米軍によって勝手に撤去されてしまったそうですね。
いつものことのように、これで責任を明確にする、追求することは事実上不可能になってしまいました。
これについて、日本政府の態度は如何なものでしょう?
先日の、実に些細な、中国でのサッカーの試合については政治屋共がやいのやいの騒いでいたくせに、今回の件では日本の正当な主権等を一切公的に主張していないってのは、何と言う素晴らしいバランス感覚なのかしら。
どちらの方が、重要な事象なのか、誰にだって解かりそうなものですよね。
これだから、中国人だって、「莫迦にしている」としか感じませんよ。
まぁ、でも、今回の本題はここから。
あの邪魔にしかなっていない駐留米軍、一瞬でも早く消え去ってくれないかなぁ。
大体、奴等が日本にいるのは、米国の利権のためだけであって、欠片ほども、日本のためではありません。これは彼等自身が明言していることです。そして、過去に竹下とか言うお莫迦の大将が「思いやり予算」などとトチ狂って奴等の駐留経費を日本の予算で一部負担するようになって幾年。不況、財政難の現在でさえこの予算は存在しています。
そして、事実。奴等が日本に駐留し始めて、日本で。いちどとして、日米安保条約とやらに基づいて奴等の戦力が日本人を護ったことはありません。日本で日本人の敵を殺した数、0です。そしてその間、特に沖縄などでその米軍に殺された日本人が幾百人と居ます。
結論。奴等は日本人の予算で日本人を殺すために日本に駐留しています。いや、これは確かに主目的ではなくて副目的だけど。
日記に、アジアカップでのことをやいのやいの書いていた人たちも、今回のヘリ墜落について何も書いていないのは何故?
スタジアムでブーイングぐらい、或いはヒートしたフーリガンが暴れるぐらい、サッカーではどうってことないでしょう?
なのに何故、国内を平然と他国の軍用機が飛び回っていて、あまつさえ墜落までしやがって、その調査も責任を問うことさえできないことって、許せないとか、想わないの?
とりあえずここは「愚者の囁き」だけれど、自分の頭で考えて自分の価値観で判断しているつもりです。
意見も批判も、建設的なものだったら、大いに考えて欲しいな。
日本で偉そうにしているサル共が
2004年8月15日 エッセイ また莫迦な事をしでかしました。
という訳で、今夜私が斬るネタは閣僚の靖国神社参拝です。
まったく、どういう外交センスをしているのだろうね、奴等は。
実は私、先日のサッカーアジアカップでの中国国民の態度について、理解も納得もできる一人なのですよ。流石に、酷過ぎるとも想っていますけれどね。
これを読んでいる貴方は、若いでしょうか、戦争を経験している世代でしょうか。それによっても、感じ方や物の見方は変わると想います。けれど、基本はとっても簡単。
日本人が、ヒロシマ、ナガサキを忘れないように、中国人も南京を忘れない。まして、その日中戦争は長く過酷で、そこで日本人が何をやったのか、彼らは忘れていない。
サッカーの折、中国では反日教育がされていて、若い世代は反日感情を刷り込まれているということを、日本のマスコミがよく言っていましたが、歴史の事実を教えていただけでしょ?
そこにきて、USAには何も言えずにへーこらしている日本が、その閣僚や過去には首相までもが、どれだけその神経を逆なでするか判っているんだか判っていないんだか、平気で終戦記念日、彼らの言葉で言えば開放記念日に靖国神社を参拝する。怒らないわけないでしょ。USAへの態度と比べてみても、「舐めてる」としか言いようがない訳よ。
なにも私も、戦没者の慰霊を批判する気は欠片ほどもないです。でもね、靖国神社はいけない。なぜなら、戦争責任者、A級戦犯が合祀されているからです。侵略された国が、許せる訳がないでしょ。自分たちの国を侵略した戦争を起こしたヤツ等を神として参拝しているんだよ?しかも、その戦争が終わった日に?
という訳で、結論。莫迦共が今年もあの戦争について欠片ほども反省をしていないことを公的に示してしまったことで、さらに中国や、最近ようやくいい関係になってきた韓国との外交関係に冷や水を浴びせました。その結果、再び今回のアジアカップの時のような騒ぎが起きたとしても、責任の殆どは外交センスの基本すら持っていないくせに閣僚なんぞやっている莫迦共の所為だし、再び同じような騒ぎは起きるだろうことが予測されます。
さて、最後に。日本には表現の自由があるはずです。なので、この日記が、非難、意見はともかくとして、不当に削除されることは有り得ないと考えております。
考えたことがない人たちには、いちど、よく考えてみて欲しい。心から、そう願う。
という訳で、今夜私が斬るネタは閣僚の靖国神社参拝です。
まったく、どういう外交センスをしているのだろうね、奴等は。
実は私、先日のサッカーアジアカップでの中国国民の態度について、理解も納得もできる一人なのですよ。流石に、酷過ぎるとも想っていますけれどね。
これを読んでいる貴方は、若いでしょうか、戦争を経験している世代でしょうか。それによっても、感じ方や物の見方は変わると想います。けれど、基本はとっても簡単。
日本人が、ヒロシマ、ナガサキを忘れないように、中国人も南京を忘れない。まして、その日中戦争は長く過酷で、そこで日本人が何をやったのか、彼らは忘れていない。
サッカーの折、中国では反日教育がされていて、若い世代は反日感情を刷り込まれているということを、日本のマスコミがよく言っていましたが、歴史の事実を教えていただけでしょ?
そこにきて、USAには何も言えずにへーこらしている日本が、その閣僚や過去には首相までもが、どれだけその神経を逆なでするか判っているんだか判っていないんだか、平気で終戦記念日、彼らの言葉で言えば開放記念日に靖国神社を参拝する。怒らないわけないでしょ。USAへの態度と比べてみても、「舐めてる」としか言いようがない訳よ。
なにも私も、戦没者の慰霊を批判する気は欠片ほどもないです。でもね、靖国神社はいけない。なぜなら、戦争責任者、A級戦犯が合祀されているからです。侵略された国が、許せる訳がないでしょ。自分たちの国を侵略した戦争を起こしたヤツ等を神として参拝しているんだよ?しかも、その戦争が終わった日に?
という訳で、結論。莫迦共が今年もあの戦争について欠片ほども反省をしていないことを公的に示してしまったことで、さらに中国や、最近ようやくいい関係になってきた韓国との外交関係に冷や水を浴びせました。その結果、再び今回のアジアカップの時のような騒ぎが起きたとしても、責任の殆どは外交センスの基本すら持っていないくせに閣僚なんぞやっている莫迦共の所為だし、再び同じような騒ぎは起きるだろうことが予測されます。
さて、最後に。日本には表現の自由があるはずです。なので、この日記が、非難、意見はともかくとして、不当に削除されることは有り得ないと考えております。
考えたことがない人たちには、いちど、よく考えてみて欲しい。心から、そう願う。
また、日付を超えてしまいました。
今、午前0時15分ごろです。本当は、昨日のうちに書きたかった文章です。
8月6日。
日本人にとって、人類にとって、特別な意味を持つ日付です。
そう、ヒロシマです。
もう、今年で原爆を落とされてから59年も経たそうです。早いですね。私は、ちょうど50年目のときに、この日付に合わせて広島を訪ねたことがあります。
日本人の殆どは、核兵器の恐ろしさを知っているのではないかと思います。ヒロシマ、ナガサキの惨状を何らかの形で、見聞していることでしょう。しかしながら、これは、世界の中ではとても稀有なことなのです。
特にアメリカ人。殆どのアメリカ人は核兵器の本当の恐ろしさを知りません。唯の、威力の格段に強い爆弾だとしか思っていません。人間が瞬時に蒸発したことも、埃屑の様に吹き飛ばされたことも、そして、今現在ですらその放射線障害で苦しんでいる人たちがいることさえも、知りません。そう、特に彼らは、放射能の被害の深刻さ、恐ろしさを全くと言っていいほど、知りません。その証拠をいくつか挙げて見ましょうか。
・核兵器の爆発実験のついでに、直後に爆心地への歩兵部隊の突入という訓練さえしていたことがある。
・放射能は白いシーツで防ぐことが可能という荒唐無稽な嘘が、政府広報で堂々と流されていたことがある。
上記ふたつは、流石に昔の話になりますが、次はとっておき、なにせ、現代の話です。
・悪名高い劣化ウラン弾をアフガニスタンでもイラクでもばら撒いたが、一兵卒はそれを当然ながら放射能防護など無いまま携行しているし、素手で扱っている。
どうだ、まいったか。
ヒロシマ、そしてナガサキは人類が唯一、核攻撃を受けた事件です。そして人類として恥ずべきことに、戦略の対象が無辜の市民だった初めての作戦だったと考えられます。
核抑止力という言葉があります。核兵器を持つことで自国への攻撃を躊躇わせようという非常に後ろ向きな考えを示す言葉です。前提には自国が攻撃を受ければ核兵器を使用するという明確な意思があります。それがなければ成り立たない戦略ですから、当然ですね。
でもね、地球の上に住む誰にも、あの日のヒロシマ、ナガサキのような形で人間を壊す資格も、権利も、無い筈なんです。
勿論、私はこんなえらそうなことを書いておきながら、被爆者ではありませんから、本当のその苦しみなど、知りません。というより、想像が追いつける訳無いんですよ、当時の惨状というのは。話に聞き、遺品や絵画などの資料を見て自分なりに思い描く訳ですが、そんなもんぢゃ無いはずなんですね。
今、ちょうど時期です。聞いたことが無い人は、いちどでいいから、被爆者の生の体験談を聞いて、そして想像力の限り思い浮かべてみて欲しい。特に、ブッシュ・ジュニア辺りには切にそう望む。地獄が、目の前にあったんだよ!? というよりも、地獄の中に佇んでいるんだよ!?
広島の平和記念公園、8月6日に式典が行われる公園です、そこにひとつの石碑があります。有名な言葉が刻まれています。もしかして、有名と想っているのは私だけなの?
「安らかに眠ってください。過ちは、決して繰り返しませんから」だったと想う。想うというのは、細部に自信が無いの。決してぢゃ無くて、二度と、だったかしら?
ともあれ、人類は今、その誓いをあざ笑うかのように、再び過ちを犯す準備を着々と進めているように見えます。
世界に憎悪と戦争が満ち溢れている今、もう2度と核の悲劇を繰り返さないために、ちょっとだけ、みんなにも考えて欲しい。考えるだけでいいんですよ、きっと。
何の力も無い私は、こうやって想ったことを誰かに読んで、そして考えて欲しいと想って文章を作っています。
もっと力のある人は、その力に応じた、できることをしてくれるでしょう。そう信じています。
長々と文章を書きましたが、もともと、こんな感じで想ったことをエッセイ風に書きたくて、ここを利用しようと想ったのですよ、私は。
もしもあなたがこれを読んで、何か考えてくれたなら、本当に嬉しく想います。ありがとうございます。
今、午前0時15分ごろです。本当は、昨日のうちに書きたかった文章です。
8月6日。
日本人にとって、人類にとって、特別な意味を持つ日付です。
そう、ヒロシマです。
もう、今年で原爆を落とされてから59年も経たそうです。早いですね。私は、ちょうど50年目のときに、この日付に合わせて広島を訪ねたことがあります。
日本人の殆どは、核兵器の恐ろしさを知っているのではないかと思います。ヒロシマ、ナガサキの惨状を何らかの形で、見聞していることでしょう。しかしながら、これは、世界の中ではとても稀有なことなのです。
特にアメリカ人。殆どのアメリカ人は核兵器の本当の恐ろしさを知りません。唯の、威力の格段に強い爆弾だとしか思っていません。人間が瞬時に蒸発したことも、埃屑の様に吹き飛ばされたことも、そして、今現在ですらその放射線障害で苦しんでいる人たちがいることさえも、知りません。そう、特に彼らは、放射能の被害の深刻さ、恐ろしさを全くと言っていいほど、知りません。その証拠をいくつか挙げて見ましょうか。
・核兵器の爆発実験のついでに、直後に爆心地への歩兵部隊の突入という訓練さえしていたことがある。
・放射能は白いシーツで防ぐことが可能という荒唐無稽な嘘が、政府広報で堂々と流されていたことがある。
上記ふたつは、流石に昔の話になりますが、次はとっておき、なにせ、現代の話です。
・悪名高い劣化ウラン弾をアフガニスタンでもイラクでもばら撒いたが、一兵卒はそれを当然ながら放射能防護など無いまま携行しているし、素手で扱っている。
どうだ、まいったか。
ヒロシマ、そしてナガサキは人類が唯一、核攻撃を受けた事件です。そして人類として恥ずべきことに、戦略の対象が無辜の市民だった初めての作戦だったと考えられます。
核抑止力という言葉があります。核兵器を持つことで自国への攻撃を躊躇わせようという非常に後ろ向きな考えを示す言葉です。前提には自国が攻撃を受ければ核兵器を使用するという明確な意思があります。それがなければ成り立たない戦略ですから、当然ですね。
でもね、地球の上に住む誰にも、あの日のヒロシマ、ナガサキのような形で人間を壊す資格も、権利も、無い筈なんです。
勿論、私はこんなえらそうなことを書いておきながら、被爆者ではありませんから、本当のその苦しみなど、知りません。というより、想像が追いつける訳無いんですよ、当時の惨状というのは。話に聞き、遺品や絵画などの資料を見て自分なりに思い描く訳ですが、そんなもんぢゃ無いはずなんですね。
今、ちょうど時期です。聞いたことが無い人は、いちどでいいから、被爆者の生の体験談を聞いて、そして想像力の限り思い浮かべてみて欲しい。特に、ブッシュ・ジュニア辺りには切にそう望む。地獄が、目の前にあったんだよ!? というよりも、地獄の中に佇んでいるんだよ!?
広島の平和記念公園、8月6日に式典が行われる公園です、そこにひとつの石碑があります。有名な言葉が刻まれています。もしかして、有名と想っているのは私だけなの?
「安らかに眠ってください。過ちは、決して繰り返しませんから」だったと想う。想うというのは、細部に自信が無いの。決してぢゃ無くて、二度と、だったかしら?
ともあれ、人類は今、その誓いをあざ笑うかのように、再び過ちを犯す準備を着々と進めているように見えます。
世界に憎悪と戦争が満ち溢れている今、もう2度と核の悲劇を繰り返さないために、ちょっとだけ、みんなにも考えて欲しい。考えるだけでいいんですよ、きっと。
何の力も無い私は、こうやって想ったことを誰かに読んで、そして考えて欲しいと想って文章を作っています。
もっと力のある人は、その力に応じた、できることをしてくれるでしょう。そう信じています。
長々と文章を書きましたが、もともと、こんな感じで想ったことをエッセイ風に書きたくて、ここを利用しようと想ったのですよ、私は。
もしもあなたがこれを読んで、何か考えてくれたなら、本当に嬉しく想います。ありがとうございます。
学習と教育と、本当に大切なこと
2004年8月4日 エッセイ 私は、車で通勤しています。片道30分程度の距離なのですが、その通勤路に、学習塾が2件ほど、あります。
行きはいいのですが、帰りはその真前を通ることになります。そして、ちょうどその時間は、それらの学習塾の生徒の入れ替え時間に当たるらしいのです。
1件は、片側1車線の道路に、もう1件は、片側2車線の道路に、それぞれ面しています。
手っ取り早く、飾らず、ひと言で言うと、
子どもを送迎する違法駐車の群れが鬱陶しくてたまらない!!
目の前で急に減速して、路駐を始める車。しかも1台どころぢゃない。片側1車線、中央分離帯のないバス通りでやられるから最悪だ。この莫迦親共、社会常識というものがないのか!!…などと腹立たしいのですよ。
そこで、ふと想ってしまったことがあるのですね。
昨今の莫迦餓鬼共のワケのワカラナイ事件が多いのも、遠因にはこういったことがあるのではないかと。
確かに近頃では、物騒な事件も多くて、夕方から夜にかけて、たとえ学習塾といえども子どもだけで通わせることに不安を感じる親も多いことでしょう。
私は20年ほど前、終わりは夜9時過ぎになる学習塾に片道30分以上かけて自転車で通っていたので、よく理解できませんけれど。
ともあれ、塾に通わせるのに、車で送迎をする。多々親莫迦な気がしますが、それは、まぁ、いいでしょう。
しかし、だよ、それは違法駐車(一時停車だと主張する人もいるかもしれないが、社会の大迷惑であることに、全く、欠片ほども、かわりはない)を正当化する理由にはなりません。
親が社会的不道徳をこうやって日常的に示している子どもが、学習塾で学問を身に着けて、それがいったいなんになるというの?
学問を身に着けるより先に、覚えなければいけないものがあるのではないですか?
送迎ついでに日常的に、恒常的に自分が社会のルールを平然と破っている姿を子どもに示している親は、なんにも思うところはありませんか?
人が人であるための当たり前のこと。他者に迷惑をかけないということ、自分が行うことの周囲への影響を常に考慮すること、そういった人間の基本があまりにも軽んじられていませんか。
親には、人間としての基本を子どもに教える義務があります。逆に、それさえ教えておけばいいんです。学問はそれを学ぶために学校があります。義務教育です。親が親としての必要最低限を忘れて、そのくせ学問だけを子どもに望み、その行動をもって莫迦な教育を施してしまう。あまつさえ、学校に不当な文句をたれる親など最悪ですね。
昔から使われている陳腐な言葉があります。「子どもは宝」です。そのとおり。だからこそ、子どもには正しいことを教えなければいけません。学問などよりも優先的に。
ふと、帰り道の車の中で、苛々しながら、そんなことを考えたのですよ。
行きはいいのですが、帰りはその真前を通ることになります。そして、ちょうどその時間は、それらの学習塾の生徒の入れ替え時間に当たるらしいのです。
1件は、片側1車線の道路に、もう1件は、片側2車線の道路に、それぞれ面しています。
手っ取り早く、飾らず、ひと言で言うと、
子どもを送迎する違法駐車の群れが鬱陶しくてたまらない!!
目の前で急に減速して、路駐を始める車。しかも1台どころぢゃない。片側1車線、中央分離帯のないバス通りでやられるから最悪だ。この莫迦親共、社会常識というものがないのか!!…などと腹立たしいのですよ。
そこで、ふと想ってしまったことがあるのですね。
昨今の莫迦餓鬼共のワケのワカラナイ事件が多いのも、遠因にはこういったことがあるのではないかと。
確かに近頃では、物騒な事件も多くて、夕方から夜にかけて、たとえ学習塾といえども子どもだけで通わせることに不安を感じる親も多いことでしょう。
私は20年ほど前、終わりは夜9時過ぎになる学習塾に片道30分以上かけて自転車で通っていたので、よく理解できませんけれど。
ともあれ、塾に通わせるのに、車で送迎をする。多々親莫迦な気がしますが、それは、まぁ、いいでしょう。
しかし、だよ、それは違法駐車(一時停車だと主張する人もいるかもしれないが、社会の大迷惑であることに、全く、欠片ほども、かわりはない)を正当化する理由にはなりません。
親が社会的不道徳をこうやって日常的に示している子どもが、学習塾で学問を身に着けて、それがいったいなんになるというの?
学問を身に着けるより先に、覚えなければいけないものがあるのではないですか?
送迎ついでに日常的に、恒常的に自分が社会のルールを平然と破っている姿を子どもに示している親は、なんにも思うところはありませんか?
人が人であるための当たり前のこと。他者に迷惑をかけないということ、自分が行うことの周囲への影響を常に考慮すること、そういった人間の基本があまりにも軽んじられていませんか。
親には、人間としての基本を子どもに教える義務があります。逆に、それさえ教えておけばいいんです。学問はそれを学ぶために学校があります。義務教育です。親が親としての必要最低限を忘れて、そのくせ学問だけを子どもに望み、その行動をもって莫迦な教育を施してしまう。あまつさえ、学校に不当な文句をたれる親など最悪ですね。
昔から使われている陳腐な言葉があります。「子どもは宝」です。そのとおり。だからこそ、子どもには正しいことを教えなければいけません。学問などよりも優先的に。
ふと、帰り道の車の中で、苛々しながら、そんなことを考えたのですよ。
なんとなく、周りで日記がはやっているみたいなのです。
そんなこんなで、私もいろいろと、想っていることなどを書き記す場所に利用させてもらおうと思っています。
本当にいろんなことを書くつもり。趣味のこと、日常で感じたこと、ニュースなどで考えたこと、など。
とりあえず、今日は挨拶だけですけれどね。
日記サイトの筈ですけれど、人に読んでもらうことを前提に文章を作る時点で日記ではなくエッセイだと、私は想っているので、そのつもりで読んでいただけると嬉しいです。
そんなこんなで、私もいろいろと、想っていることなどを書き記す場所に利用させてもらおうと思っています。
本当にいろんなことを書くつもり。趣味のこと、日常で感じたこと、ニュースなどで考えたこと、など。
とりあえず、今日は挨拶だけですけれどね。
日記サイトの筈ですけれど、人に読んでもらうことを前提に文章を作る時点で日記ではなくエッセイだと、私は想っているので、そのつもりで読んでいただけると嬉しいです。