最近、ふとした好奇心から西洋宗教、所謂ユダヤ教とキリスト教にご執心です。
 もともと伝記、歴史ちっくなものは好きだったのですが、今は手当たり次第に書物を読んだりネットを漁ったりして、知的好奇心を満たしております。

 背景には、ヨーロッパやアメリカなどのエンターテイメントを正確に理解するためには、バックグラウンドに存在するキリスト教的な風習や価値観を理解していないといけないという事情があります。

 このように考えるきっかけになったのは、次のような下らないことなのですが。
昔、「モンティ・パイソン」と云うギャグ番組がBBCで放送されていたことがあり、日本国内でも一部のマニアを中心に人気を博したことがあります。30台半ば以降の方の中には、ご存知の方がいらっしゃるかもしれませんね。MTGなどでは、「ティム」と云う呼び名の元ネタとして知られています。
このシリーズの中に、「Meaning of Life」と云う映画作品があります。この中に、デブの美食家モドキがレストラン内で噴水のごとくゲーゲー吐瀉しまくる、と云うギャグシーンがあるのですが、殆んどの日本人の方は、この文章を読んだだけでも、何がおもしろいのかさっぱり解らないでしょう。映像に仕掛けがあるギャグではありません。本当に唯、吐瀉しまくるだけなのですが。
このネタは、ローマ時代の美食文化に元ネタを求めます。当時贅沢を極めた美食家は、とにかく旨いものをたくさん食べるために、腹が一杯になったら鳥の羽根で喉の奥を刺激して吐瀉し、胃をリセットしてからまた食べる、なんてことをしていました。
これを知らないと、笑うどころか、「何をしたいのかさっぱり解らない」状態なのですね。
歴史や文化の知識と云う基盤がないと、渾身のギャグもウィットも、すべて空滑りする訳ですよ。

 と云う訳で、長々と書いてきたのですが、駆け出しの似非宗教史学者みたいな感じの日々を送っているわけですが。

 とりあえず気づいたこと。

 「予言」と「預言」が、日本では本当によく混同されている。知っている人には「何を今更」な話なのですが、「予言」はただ単に未来のことを言うこと。胡散臭い占い師に代表されるもの。ノストラダムスでもいいや。「預言」は純粋に宗教的なもの。預と云う文字が示すとおり、神の言葉を預って人々に伝えるもの。
なので、西洋宗教史的な観点からいえば、「予言」は外れることがある。寧ろ、偶に当ることがある程度。「預言」は絶対に外れない。「預言」された未来は、神が必ずそのとおりにするから。更に云えば、「預言」は厳密にはユダヤ教、キリスト教、イスラム教にしか存在しない。

 あとは、MTGネタなのですが、多くの日本人プレイヤーは、ミラディンブロックの3rdエキスパンションの「フィフス・ドーン」について、なんで「5」なのか知らないと思うのですけれど、どうだろう?
ここまで前フリしてあれば、気づく人も多いと思うのですけれど、これは、旧約の創世記、神が世界を創った5日目のことなんですよね。
『神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」 夕べがあり、朝があった。第五の日である。』
 たぶん、アメリカやヨーロッパのプレイヤーは、気付く以前に当然のようにそれを理解していたでしょう。
マジックのプレイには何の影響もないことなのですが、気付くか知らないままかでは、楽しみの数がひとつ違うような気がしているのです。 
…気付くまでには、かなり時間がかかったけれどね。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索