過日、後藤田正晴氏が亡くなりましたね。
唐突にこう切り出しても、解らない方も多いかもしれない。
昭和の時代、自民党の大物だった元国会議員の後藤田氏が亡くなられた。いや、これもいろいろと語弊を招きかねない表現ですね。
まぁ、有態に言えば、私がとても尊敬していたひとりの政治家が、その生涯を終えられたと云うことです。
戦後の日本の政治家の中で、私が最も尊敬する政治家なんですけれどね。
現在の形で自民党が選挙に大勝して、その後臨時国会が召集される間に彼が亡くなられたのは、確かに、ひとつの時代の終焉、そして自民党がかつての、私が知っている自民党ではなくなったことの象徴であるかのようです。
そういった意味で、非常に印象的なことだったので、相応しくは無いかもしれないけれど、日記と云うことでここに雑感を記すことにしました。
私が何故彼を尊敬して止まないかと云うと、彼には揺るがない絶対の「理」と云うものが確立されていたからです。
彼を尊敬するようになったエピソードに、こんなものがあります。
日本には、刑罰の中に死刑がありますよね。今でこそ年に何回か、そして何人かの死刑が定期的に執行されていますが、一時期、数年、数十年に渡って全く死刑が執行されなかった時期がありました。死刑囚が居なかった訳ではありません。どうした訳か、憚られるかのように、歴代の法務大臣が死刑執行の命令書にサインをしなかった時代があったのです。そして、何時しか世間の認識も、「死刑とは絶対に釈放されない懲役刑であり、執行はされない」と云うようなモノになっていました。まぁ、死刑囚をとはいえ、人を殺す命令書にサインをするなんて行為、躊躇があったのでしょう。で、たまたま幾人かの大臣がサインをしなかったら、それが慣行のようになってしまったのでしょう。
そんな時に、法務大臣になった後藤田氏は死刑を執行しました。世間は聊かの騒ぎになりましたよ。私よりも年上の諸兄は、覚えていらっしゃるかもしれませんね。
その時の彼の主張はこうでした。
「法治国家で、その法に基づいて司法が死刑と判断した。それを行政(法務大臣の事ね)が執行しないのであれば、行政が司法を尊重しないと云うことであり、それは民主主義の原点である三権分立を犯す」と云うような内容でした。
当時、非難も中傷もあった筈ですが、そんな当然の原則を護る為に、それらをあえて受けても正しいと信じる行動を採る。
その時まで、私は政治にも政治家にもそんなに関心は無かったのですが、心から尊敬できる人物だと直感しましたね。
昨日や今日でも、テレビのワイドショー系などで彼の足跡を振り返るような特集が幾つかあったようで、仕事のために見られないことが幾分悔しい想いです。
全く、今の自民党にこそ必要不可欠な偉大な政治家が失われてしまったなんて。とか想いつつ、かなりご高齢だったことですし、故人の冥福を祈りたいと想います。
唐突にこう切り出しても、解らない方も多いかもしれない。
昭和の時代、自民党の大物だった元国会議員の後藤田氏が亡くなられた。いや、これもいろいろと語弊を招きかねない表現ですね。
まぁ、有態に言えば、私がとても尊敬していたひとりの政治家が、その生涯を終えられたと云うことです。
戦後の日本の政治家の中で、私が最も尊敬する政治家なんですけれどね。
現在の形で自民党が選挙に大勝して、その後臨時国会が召集される間に彼が亡くなられたのは、確かに、ひとつの時代の終焉、そして自民党がかつての、私が知っている自民党ではなくなったことの象徴であるかのようです。
そういった意味で、非常に印象的なことだったので、相応しくは無いかもしれないけれど、日記と云うことでここに雑感を記すことにしました。
私が何故彼を尊敬して止まないかと云うと、彼には揺るがない絶対の「理」と云うものが確立されていたからです。
彼を尊敬するようになったエピソードに、こんなものがあります。
日本には、刑罰の中に死刑がありますよね。今でこそ年に何回か、そして何人かの死刑が定期的に執行されていますが、一時期、数年、数十年に渡って全く死刑が執行されなかった時期がありました。死刑囚が居なかった訳ではありません。どうした訳か、憚られるかのように、歴代の法務大臣が死刑執行の命令書にサインをしなかった時代があったのです。そして、何時しか世間の認識も、「死刑とは絶対に釈放されない懲役刑であり、執行はされない」と云うようなモノになっていました。まぁ、死刑囚をとはいえ、人を殺す命令書にサインをするなんて行為、躊躇があったのでしょう。で、たまたま幾人かの大臣がサインをしなかったら、それが慣行のようになってしまったのでしょう。
そんな時に、法務大臣になった後藤田氏は死刑を執行しました。世間は聊かの騒ぎになりましたよ。私よりも年上の諸兄は、覚えていらっしゃるかもしれませんね。
その時の彼の主張はこうでした。
「法治国家で、その法に基づいて司法が死刑と判断した。それを行政(法務大臣の事ね)が執行しないのであれば、行政が司法を尊重しないと云うことであり、それは民主主義の原点である三権分立を犯す」と云うような内容でした。
当時、非難も中傷もあった筈ですが、そんな当然の原則を護る為に、それらをあえて受けても正しいと信じる行動を採る。
その時まで、私は政治にも政治家にもそんなに関心は無かったのですが、心から尊敬できる人物だと直感しましたね。
昨日や今日でも、テレビのワイドショー系などで彼の足跡を振り返るような特集が幾つかあったようで、仕事のために見られないことが幾分悔しい想いです。
全く、今の自民党にこそ必要不可欠な偉大な政治家が失われてしまったなんて。とか想いつつ、かなりご高齢だったことですし、故人の冥福を祈りたいと想います。
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