GP横浜 決勝編

2004年11月21日
 いよいよGP横浜も決勝。
それよりも、PTQのスイス8ラウンド+決勝ローチェスターを考えると、いったい何時に終われるのか不安な朝でした。

 昨夜はとりあえず体を休めるために、宿に戻ってすぐに眠ったので、少しだけ早めに起きてシャワーを浴びてから宿を出る。
昨日のようにジェットのブレスレッドを着けて1日の無事を祈り、お仕事開始。

 で、私のお仕事はPTQのスタッフでスタートしました。パックのチェック、その後の構築と、昨日の朝よりやや規模が小さいだけで殆ど変わらないことをしながら、プレイヤーさん達とお喋り。
「今日は何時ごろに終わりますか?」と聞かれ、
「とりあえず構築、8回戦+決勝ですからね、こちらが知りたいですよ」
などと返したり。
 1回戦目が始まり、デックリストのチェックをしている所へ、サイドイヴェントの方へ行ってくれとのお話しがくる。ヘッドジャッジは、「今抜けられると困る」と言っていたが、結局はサイドイヴェントの方も人手が必要なのは変わらないので、そちらに移ることに。

 サイドイヴェントのブースタードラフトは、私が行った時点で29卓目が立っていたのかな、確か。
最初のうちこそ、多少余裕があって剥かれたパックの回収などもしていたのですが、時間が経つにつれ人が増えてきて、その内大変なことに。同時に10以上の卓が動いている状態が当たり前で、自分とHJ社の人達と数人でてんてこ舞いになって仕切っていました。なにせね、PTQが1ラウンド終了する度に2〜3卓立つのね。で、その度に空いてるテーブルを探して、トレードやフリーデュエルをしている人達には退いて頂いて。
気付いたら午后2時半を過ぎていて、慌ててお昼ご飯を食べに行ったり。その後は他のジャッジの人もお手伝いに来てくれて、大変なのは変わらないのですが多少は楽になったと感じたり。
 そして、ちょっとした時間を見つけて、アーティストさんにサインを貰ったりもしました。
 結局、サイドイヴェントのドラフトは、70卓以上立ったのかな。午后の7時過ぎまで受付しており、最後が終わったのは9時を過ぎていました。

 で、私にとって最大のイヴェントはその後に起きました。
 GPもいよいよ決勝戦と云う時に、ヘッドジャッジからメモパッドを持ってくるように指示される。何に使うのかなぁなんてぼんやりと想いながら言われた通りにメモパッドを渡そうとすると、「じゃあテーブルジャッジやって」とか言われて軽くパニックに。「ずっとサイドイヴェントでお疲れだったから、ご褒美」とか畳み掛けられる。
確かに嬉しいです。GP決勝を特等席で見るのですから。でもね、ジャッジ経験半年にも満たない身には、緊張と戸惑いの方が大きい訳でして…ジェットを胸の前で抱きしめる、いつもの儀式で緊張を解し、席に着きました。

 決勝のテーブルの片方には、我等が愛知県の強豪、加藤一貴さんが着いている。またまた想わず、心の中で応援。
 そんな想いが通じたのか、1戦目押されていたゲームをひっくり返すと、2戦目は割りとあっさりと取って、加藤さん優勝。
かなり強烈な思い出になりました。

 決勝テーブルのふたりは、その後も席を立たないでフリーデュエルに突入。やっぱり、心底好きでないとこんな席にはたどり着けないのかな、と改めて感じましたね。
表彰が始まってもこのデュエルは続いており、表彰が終わるとまた走って席に戻って続き。その結果、その後は対戦相手の鍛冶さんが3連勝だったようで、PTのように3本先取だったら大逆転勝利だったようです。当の鍛冶さんは、優勝カップを掲げて走り回っていたと云うオチつきの噺。

 そしてPTQでは、厳しい、長時間の準決勝を愛知の塩津さんが勝ち、見事にPT名古屋の権利を獲得されていました。

 総てのイヴェントが終了し、ある程度の片付けを終えて夜の11時、会場を後にしたのは11時半頃になりました。
時間的には、或いは身体的にもキツイGPでしたが、やはり自分は心底愉しんで、満足の内に終えることができました。

 ジャッジの方々の一部は、その後呑みに行ったり、ドラフトをしたりと更なるお楽しみがあったようですが、私は宿が遠いため、急がないと戻れなくなると云うことで、ここで他の方々ともお別れとなりました。
また次の機会には、とことんまで遊び倒したいと想いつつ、私のGP横浜も終了したのでした。

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