言葉使い

2004年10月11日 エッセイ
 なんだか、自分で思っているよりも疲れているみたい。
なかなか自分で納得できるような文章が書けないんですよ。
つい先程、なんとか10月9日の日記をアップしたばかりなのですが、その文章も全然、不満。で、10日の日記は書くのを諦めたところです。
 それでもこうやってキーを叩いているのは、ひとつだけ、書いておきたいと想ったことがあったから。

 今日の夜7時のNHKニュースの中で、イチローへのインタビューがありました。ここ数年のイチローは、なんだか私はその言動を「偉そう」に感じるものがあって、あまり好きではなかったのですが。今日は、とても素晴らしい、そして大切なことを語ってくれました。
「子どもたちへ」と云うことで、彼が語った言葉は次のようなものでした。
「子どもたちが僕たちに憧れて、僕たちのようになりたいと想うことはとても純粋。周りの大人たちが、自分たちの価値観でそれを潰してしまう」と云うような趣旨のことを、かつて自分がプロ入りする際に親類などに反対されたことを例に挙げて語りました。
勿論、それだけを語ったわけではありません。いろんなことをインタビューの中で語ったのですが、今日は、私は、これを特に取り上げたいのです。
 子どもたちの夢や憧れは、それはそれは大変なパワーを持っています。そして、純粋です。只、子どもたちには自分の環境を作ることができません。ですから、大人が、特に親が率先してその夢を支えてあげなければいけません。でも、「あんなプロの世界で活躍できるのはごく一部の例外だから」などど言って、大人がその夢を潰してしまうこと、多いですよね。実際にそんな言葉を吐かなくても、その環境を大人が整えてあげなければ、子どもは夢を叶えるスタート地点にすら立てません。例えば、野球選手に憧れる子どもに、グローブやバットなどを買い与えてあげなければ、たったそれだけでその子の野球選手への夢は絶たれてしまいます。漫画家に憧れる子どもに、「遊んでないで勉強しなさい」などと迫れば、それだけでその子の夢へ向かう気力すら削ぎます。
誰もが、そんな思いをしたこと、いちどぐらいはありませんか。私にはありますよ、自分の親に夢を潰されたこと。
 前々から、不思議に想っていたことがあります。日本の親の多くが、自分の子どもに高学歴を望み、その果てに大企業への就職を望んでいるようではありませんか。何故、自分の子どもを、大企業とはいえ所詮はサラリーマン、人に使用される人間にさせたいのか、私には理解できないのです。

 今は障害者福祉の仕事をしている私ですが、数年前までは児童館で働いていました。子どもが大好きで、今日イチローが語ってくれたようなことを、いつも考えていました。だからこそ、彼のように特別に影響力のある人間がテレビと云う影響力の強いメディアで語ってくれたことを、とても嬉しく想います。

 私はいろんなことをテーマにエッセイをここに書きたいです。もう大人になった私は、自分が夢を叶える環境を自分で整えることができるので。で、大人になった私の今の夢。それは、言葉使いです。魔法使いが、魔法を使っていろんなことをするように、私は言葉を使っていろんなことをしたい。言葉と云う、他者に影響を与えられる道具で、自分の考えを伝えたり、問題提起をしたり、そういった形で、人に想いを伝えたい。そう想っています。

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